『生き延びるための自虐』試し読み(13, 14章)

この記事は、個人誌の『生き延びるための自虐』試し読みです。

予告なく削除されることがあります。

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第13章 嫉妬と「ひとり裁判」のあいだで—渡邊博史

     自虐的な言葉の書き手の紹介も最後になりました。今回紹介するのは、2012年から約一年の間に散発した、通称「『黒子のバスケ』脅迫事件」(38)の犯人、「喪服の死神」こと渡邊博史です。

 

 渡邊は、紹介してきた中でも最も新しい時代に生きていた犯罪者です。そして、今年(2022年)死刑が執行された加藤智大と、おそらく生きていたら極刑を宣告されていただろう森恒夫と比べても、彼の罪はかなり軽いとされています。

 しかし、宣告された罪の重さはその人の行った自虐の深度と何の関係もありません。私のみるところ、渡邊は最も苛烈で徹底的な自虐を遂行しえた人間であり、私の理念上の自虐者に最も近い人物です。彼が行った自虐はまさに「生き延びるための自虐」です。自虐を徹底することで、死んだり人を殺したりすることなく、過酷な経験を背負いながら生きていくことができるようになる、そのような筋書きを、私は彼の自虐的な文章に見ようとしています。

異議としての冒頭意見陳述

 渡邊の言葉が記された資料はごく限られています。最も入手が容易なのは、『生ける屍の結末』という渡邊自身による著書です。この中には、彼が犯罪を実行する過程を振り返った記録と、冒頭意見陳述(39)、被告人質問のために用意された質疑応答、最終意見陳述などが収められています。

 これらのうち、一番初めに公開された渡邊の言葉は「冒頭意見陳述」です。この文章は、2014年に全文が雑誌『創』とインターネットニュース上でも公開されて注目を集めました。なぜ注目を集めたのか、様々なことが言えるでしょうが、一つには、その内容が彼の経済的苦境と、親密な人間関係の希薄さを強調するものだったからです。加藤智大について「非正規雇用」「恋人がいない」という点が(歪んだ形で)注目されていたように、渡邊もまた、社会情勢が導いた経済的・人間関係的貧困の犠牲者として語られてきたようです。

 渡邊は、こうした世間の論評を留置所内で耳にしていたようです。それもあってか、彼の冒頭意見陳述の序盤は、彼が彼自身や彼の起こした事件に対する世間(マスコミ、心理学者、インターネット上の匿名の書き込み)の解釈を片っ端から否定し訂正している部分が目立ちます。私は、それによって、渡邊が「自分のイメージを作る主導権」を奪取しようと試みていたように思いました。彼は彼自身の来歴を小学校時代から事件の実行中まで縦横に遡り、性的志向自殺念慮などを(聞かれてもいないのに)赤裸々に告白します。そうすることで、彼は、自分自身が自分について持っているイメージと、他人に抱かれている彼自身のイメージの統合を図るのです(本書第8章も参照)。

 彼は、世間に代わり、自分について自分自身の解釈を堂々と提示します。例えば、彼が逮捕されたときに「負けました」と発言したのは、ゲーム感覚で事件を起こしていたからではなく、自分の人生をギブアップしたという意味だったと彼は述べています。また、彼が逮捕後に移動するときに写された顔が笑っていたことに関しては、「有名になれたことに喜んでいる」という解釈を彼は否定し、これは自嘲の笑いだったと述べています。

 以上のように、渡邊の主張は、自分の内心についての絶対の自信を伴って始まるようにまずは見えます。

渡邊の「ひとりツッコミ」

 ただ彼は、非当事者の勝手な憶測を否定し自分の内心を自分自身の言葉で語るだけではなく、ときに「ひとりツッコミ」を行い、もっともらしく述べた自分の見解を撤回したり、注釈を加えたりしています。

 たとえば、彼は「〔事件を起こした〕動機について申し上げます」と述べ、「自分が『手に入れたくて手に入れられなかったもの』を全て持っている『黒子のバスケ』の作者の藤巻忠俊氏のことを知り、人生があまりに違いすぎると愕然とし、この巨大な相手にせめてもの一太刀を浴びせてやりたいと思ってしまった」(40)と語ります。続いて渡邊は、「自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと、」と仕切り直して、ほぼ同内容の動機を確信をもって語ります。

「10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた」ということになります。これで間違いありません。実に噴飯ものの動機なのです。(41)

 つまり渡邊は「自分が欲しかったものを持っている成功者への妬み」という動機をまずは提出しました。

 しかし、彼はすぐに「しかし、自分の主観ではそれは違うのです」(42)と言い出し、少し違った「動機」を語り始めます。要約するのは困難ですが、彼は「何事にも燃え尽きることが許されない」という感覚を「罰」として与えられていたといいます。また、その罰を課した「何か」に復讐をしようと無意識に考えていたともいいます。あるとき彼は、姿の見えない「何か」の代わりになるものとして「黒子のバスケ」を見出し、それにダメージを与えることを決めました。それにより、「自分を罰する『何か』に一矢報いたかのような気分になりたかった」からです。

 ここで重要なのは、「何か」というものの正体を渡邊自身もはっきりとは分かっていないという点です。「黒子のバスケ」も、その作者の藤巻も、彼がほんとうに憎むべき相手ではなかったのではないかという疑念が、すでにここには見えています。彼は、「嫉妬する私」というイメージを強調して語りつつも、その語りに胡散臭さを覚えているわけです。

嫉妬を裁く「ひとり裁判」

 冒頭意見陳述のはじめの3分の1程度で、渡邊は彼自身が「嫉妬する者」となった経緯を繰り返し語り、聴衆にそれを信じさせようとします。彼はまさに、自分についての物語を自分で語ることによって、「嫉妬する私」と「嫉妬する私について語る私」を二重化していくわけです。そして、後者の「嫉妬する私について語る私」としての渡邊は、「嫉妬は許されない」という嫉妬の罪を真剣に論じ始めます。

現在の刑事裁判で最も悪質な動機とされるのは利欲目的です。自分と致しましては、この裁判で検察に「成功者の足を引っ張ろうという動機は利欲目的と同等かそれ以上に悪質」という論理を用いて、自分を断罪して頂きたいのです。そして裁判所には判決でそれを全面的に支持していただきたいのです。「不幸の道連れという動機は利欲目的と同等かそれ以上に悪質」という判例を作って頂いて、それを法曹界で合意形成して頂きたいのです。(43)

 彼は、嫉妬して暴れた犯罪者を描き出したと思えば、それを自分で裁こうとし始めます。もはや「ひとりツッコミ」どころか、「ひとり裁判」を始めていくようでもあります。以下の部分などはまさにそうです。

犯罪は程度の差こそあれ社会に迷惑をかけるものです。その迷惑が限度を超えた犯罪者を社会から永久追放するために無期懲役が、世の中から追放するために死刑が刑罰として存在します。自分は結果としては大した罪にはなりませんでした。しかし、明らかに社会の許容限度を超えた事件を起こしたと認識しています。職業窃盗犯の更生とは意味が違うのです。自分みたいなのが社会復帰しては絶対にいけませんし、それを許す甘い社会であってはならないと思います。(44)

自分に対する刑罰が最高で懲役4年6ヶ月というのはおかしいと思います。自分は大学構内という公共空間で毒ガスをばらまき、コンビニの商品棚という不特定多数の人間が手を伸ばす場所に毒入りの食べ物を置いたのです。これは公共危険罪です。死傷者は出ていませんし、自分としても出ないようにやりましたが、自分を無期懲役にも死刑にも処せない日本の刑事司法には大きな問題があると思います。(45)

これからの日本社会のためにも「不幸の道連れ型犯罪は絶対に許さない」という司法の意志を判決で表明して下さい。(46)

 このように彼が「嫉妬の罪」について熱をもって語るのは、ある意味で彼の倫理観の現れです。不幸な人が、その不幸に無関係の他人を妬んで危害を加えるのを許すべきではないと、彼は知っています。しかし彼は同時に「嫉妬する者」でもあるので、嫉妬に狂い八つ当たりをすることで「心の平衡を保」つ術も知っており、実践しています。陳述の中で、彼はその術を「精神的勝利法」と呼びます。

それでも自分は両親や生育環境に責任転嫁して、心の平衡を保つ精神的勝利法をやめる気はありませんし、やめられません。(47)

 彼はこの後、国民世論に蔓延する「精神的勝利法」についても語ります。それは彼曰く、国際関係の中で日本が非難されることがあれば、その原因を「特定アジア三国の反日プロパガンダ」「反日左翼マスゴミによる偏向捏造報道」に帰して、「世界から称賛され、かっこいいと憧れられる日本」像を温存しようとする姿勢のことです。インターネットの匿名掲示板に通う彼はこのような愛国っぽい言説にごく近いところにいましたが、それを「精神的勝利法」と呼ぶことができるほど客観的になれてしまうので、同調することもできなかったそうです。

 渡邊の姿勢は、嫉妬に狂ったり特に落ち度のない他者を藁人形に仕立てたりして優越感を得ることの快楽にも触れつつ、それを「精神的勝利法」と呼んで距離をとろうとするものでした。彼の展開する「ひとり裁判」は、「嫉妬する私」を(愛国っぽい人々の姿勢と重ねて)論評することで「嫉妬する私について語る私」を立ち上げる作業だったわけですが、そもそもその後者自身は嫉妬にとらわれていた前者と同じであるわけです。事件を起こして裁かれる側ではなく、いつの間にか裁く側の視点で発言を重ねる彼の姿には、「おまえが言うなよ」という「メタ批判A」を誘うような滑稽さがあります。

反省表明の胡散臭さ

 しかし、渡邊はこのような「おまえが言うなよ」というメタ批判Aすら前提としています。自ら起こした脅迫事件について彼が「反省はありません」と述べるのも、このメタ批判を見据えてのことなのです。

これだけの覚悟をして事件を起こしたのですから、反省はありません。反省するくらいでしたら、初めからやりません。(48)

 第9章で取り上げた、元アルコール依存症の人の語りを思い出してください。「私は昔は本当に酷い中毒だった」と語るその人は、本当に今は依存症を克服できているのでしょうか。同様に、相当な決意のもと事件を起こしたと語る人が、同じ口で「今は反省している」と語っても、ではその相当な決意とは何だったのかという話にならないでしょうか。反省しているという表明はいつでも、「自己を語ることの不可能性」に突き当たります。犯罪に突っ走っていったその人自身が反省しているということを語り、他人に胡散臭く思われずに信じてもらうことには相当な工夫が必要だと私は思います。前章で紹介した森恒夫は「懺悔することは黙秘を貫き通すことよりもずっと容易」だと『自己批判書』で書いていました(49)が、とんでもない話です。渡邊は、反省しているという表明の胡散臭さを身体的なレベルで理解していたから、先のような発言ができたのでしょう。

 

 渡邊は自分自身のことを、成功者に嫉妬する卑小な人物として描き出します。これはすでに自虐的な語りではあります。しかし、彼の自虐はそこで終わりません。自分自身は嫉妬する者だという語りが、彼にとって徐々に胡散臭く思われてくるからです。だから彼は「不幸の道連れ」「精神的勝利法」という論理を実際に生きてしまいながらも、それから距離をとろうと必死で言葉を重ねました。どれだけはっきり自分を語っても追いかけてくる「メタ批判A」、言い換えれば「自己を語ることの不可能性」を意識してもいました。この意識は、加藤や森の自虐的な文章にはなかったものです。

 彼は陳述の最後に、自分自身で原稿を読み直してツッコミを入れるという非常に彼らしいパフォーマンスを行います。当の陳述は「知性の欠片も感じられない実に酷い文章」だと(50)。ただ、私はこの評価は結果的に的を外していたと思います。たしかに彼の冒頭意見陳述には、加藤の書き込みのような軽快で気の利いた調子も、森の自己批判書のような高度に専門化した政治的見解もありません。しかし彼の文章には少なくとも、自分の書いたものを自分でも完全には信じないという「自己批判」の精神があります。自分の実感と、自分の語彙と、自分の語りのポジションがどう交差するのかに関する徹底した意識があります。自分の実感からは絶対に逸れまいとする頑固さと同時に、他人がそれを聞いてどう感じるだろうかという他人への志向があります。

 渡邊の冒頭意見陳述は、自虐する中で、いつしか自虐すること自体が抱えざるを得ない胡散臭さに気づいていく、お手本のような「自虐論的自虐」でした。このような言葉を綴ることのできた渡邊は、じきにこの冒頭意見陳述を書いた彼自身からも距離を取り、さらに言葉を重ねていきます。そして、初めに「嫉妬する者」だった彼はどのような境地に至るのか。それを確認するのは次回といたしましょう。

 

 38.    2012年10月から発生した、漫画『黒子のバスケ』の作者・藤巻忠俊や作品の関係先各所を標的とする一連の脅迫事件をいいます。狙われたのは、藤巻の在籍していた上智大学を始めとして、『黒子のバスケ』関連のイベントが予定されていた会場、関連番組を放送していたテレビ局・ラジオ局、関連の菓子を販売していたコンビニエンスストア等多岐に渡ります。2013年12月15日、東京都渋谷区の路上で脅迫状を投函しようとしていた渡邊博史が威力業務妨害容疑で逮捕され、事件は収束しました。

 39.    刑事事件の裁判においては、まず「この人は○○という罪を犯したので有罪としてください」という起訴状を検察官が読み上げます。この起訴状について、事件の犯人とされた被告人が意見を述べることを「冒頭意見陳述」といいます。また、事実関係や法律的問題が一通り争われた後にも被告人が意見を述べる機会があり、その陳述を「最終意見陳述」といいます。

40.     渡邊前掲書、 p. 159。

41.     同書、pp. 160-161。

42.     同書、p. 161。

43.     同書、p. 168。

44.     同書、pp. 165-166。

45.     同書、p. 167。

46.     同書、p. 168。

47.     同書、p. 171。

48.     同書、p. 164。

49.     森前掲書、p. 7。

50.        渡邊前掲書、 p. 172。

 

第14章 自虐的な生存へ—渡邊博史(再)

 本章では、前章に続いて渡邊博史の記した文章を読んでいきます。今回取り上げるのは「最終意見陳述」です。

 この陳述は、冒頭意見陳述とは語彙からして全く異なる長大な彼自身の物語です。物語の中で、彼は、事件を起こさず、死ぬこともなく生き延びるためには何が必要であったのかを確実に見出していました。彼は、自虐的に考える自分を徹底的に検分することによって、その鍵を見出しました。自虐論的な自虐が彼を生き延びさせた事情をなんとか捉えられるよう、以下で私は努めてみます。

語彙の更新

 渡邊は最終意見陳述の始めに、冒頭意見陳述を撤回すると述べます。彼はその陳述は「ズレていた」と語り、冒頭意見陳述を作り上げた自分自身の「認識」を問題にします。彼は陳述を作り上げた過程について次のように振り返っています。

 自分は必要に迫られて、娑婆にいた頃に多少の関心があった格差社会論に影響された俗耳に入りやすい筋立てに基づく動機を気がついたときには既に供述してしまっていました。さらに取り調べでその動機(仮)を繰り返し供述している内に、自分でもその動機(仮)を信じ込んでしまっていました。その間違った思い込みの集大成が自己憐憫に埋もれた初公判での冒頭意見陳述でした。(51)

 ここで言われている「格差社会論に影響された俗耳に入りやすい筋立て」とは、「勝ち組/負け組」の2種類に人々を分類するものです。努力して人並みの生活を手に入れた人たちは「勝ち組」となり、「負け組」は諸々の競争の中で落ちぶれて人並みの生活すら手に入らず、勝ち組を妬むことになります。このどこかで聞いたことがあるような物語を前提として、渡邊は冒頭意見陳述の中で独自の用語を作り出していました。「人生格差犯罪」「不幸の道連れ」「無敵の人」などです。おそらく彼の冒頭意見陳述が大きな反響を呼んだ一因は、その陳述が多くの人にとって馴染みのある物語(52)を、キレのある言葉で情熱的に描き出していたことにあるのでしょう。

 しかし、冒頭意見陳述の反響に接するうちに、彼は自分の陳述に違和感を持ち始めます。例えば冒頭意見陳述の後にネット上に書き込まれた「スーパー嫉妬人」という評価に対しては「自分がクズなのは認めるけど、他人様の成功への妬みだけでここまでやるほどのクズだったっけ?」(53)と彼は疑問を持ちます。前章で述べたように、彼は冒頭意見陳述の時点ですでに、嫉妬を事件の動機の全てとすることについて躊躇いを見せてもいましたから、これは必然だったと考えられます。じきに彼は、格差社会論的な筋立てに寄りかかった語彙を一度破棄して、自分のことを語り始めます。

来歴の個別性と理解を求めない語り

 彼は、かなり話題を呼んだ「無敵の人」という用語をあっさり捨て去ります。なぜなら、その語はある人の現在の社会的な孤立と、そこからくる犯罪への踏み出し易さだけを表す言葉となってしまい、その人が自分の現状に対して抱いている実感や、孤立するまでの来歴を無視して使われるようになったからです。

 渡邊の冒頭意見陳述が公表された後、様々な事件の容疑者を「無敵の人」として報道し始めたメディアについて、彼は最終意見陳述の中で次のように批判します。

犯罪の動機も犯人の来歴も十人十色なのは申し上げるまでもありません。犯罪の分析には個別具体的な検証が必要不可欠なはずです。その作業をサポタージュできる便利なキーワードとして「無敵の人」が濫用されることを自分は本気で危惧しています。

 

はっきり申し上げて「無敵の人」という言葉は、それ自体は大して意味がありません。「無敵の人」という言葉は結果です。つまり現在完了形なのです。あるメディアからの手紙に「『無敵の人』に当てはまる人に言葉をかけるとしたら何というか?」という趣旨の質問がありました。「無敵の人」になってしまうまでの過程は人それぞれです。全ての「無敵の人」に対して普遍的に通用する言葉など存在するはずがありません。その人物が「無敵の人」になってしまった過程を個別具体的に検証し、それぞれに合った手当を施すことこそが必要なのであり「無敵の人」というキーワードだけ抽出して取り上げることは有害無益です。(54)

 ここで渡邊は「個別具体的な検証」の重要性を述べていますが、彼の最終意見陳述において重視されたのも、彼自身が「無敵の人」になるまでの過程の徹底した検証作業なのです。

 その検証作業は、おそらく多くの人に理解されないだろうと渡邊は考えていたようです。彼は、最終意見陳述の中で語られることを理解できる人は他に誰もいないだろう、もし理解できてしまった人は、自分と同じような生きづらさを抱えている可能性が高い、と語っていました。

 つまり彼の生きづらさ、彼の苦しみは彼の半生とは切り離せないものであり、彼独自のものです。とくに幼少期の彼の経験は壮絶なものです。彼自身は両親から「変わったしつけを受けた」と書いていますが、つまるところ彼は両親から精神的虐待を受け続けてきました。たとえば彼の両親が行ったのは、共感しない、いじめに対処しない、娯楽を奪う、能力や容姿を否定する、成績が悪いと罵倒し殴る等です。また彼は学校生活や予備校でもいじめの標的にされ続け、教師も何も対処しないどころか目の敵にされていました。こうした壮絶な環境で幼少期を過ごす人はそこまで多数派ではないはずです。すると、当時の彼の感覚や考え方は、多くの人には実感をもって受け取ることが難しいものとなるでしょう。実際、私は渡邊のいう「生ける屍」の感覚や「安心」のありがたみを心から実感できたことはありません。

 彼は、彼自身の感覚と考え方を説明した最終意見陳述が多くの人に理解されることを期待していません。つまり自己完結で一向に構わないというポーズを取っています。しかし彼は、他方でその自己完結的な語りが公開されなくてはならないとも考えています。彼は陳述の中でも、法廷という語りの空間から締め出されることを危惧していますし、法廷で時間が足りずに陳述が打ち切られてしまえば、自らの手で著書(『生ける屍の結末』)を出版してしまいます。

 第Ⅰ部で確認してきたように、自己完結を標榜するが、誰かに向けて語られなくてはならないのが自虐の物語でした。彼が、「理解できる人はほとんどいないだろう」と言っているからといって、彼の陳述を真面目に読む必要がないと考える人がもしいるのなら、私はその素朴さに呆れるほかありません。多くの自虐は「どうせ他人には理解されないだろうけど」という構えをとって他人の前に現れるのであり、渡邊の自虐もその例に洩れません。あらゆる自分語りは聞き届けられるために行われています。だから私は、渡邊と完全に同じ感覚は当然持ってはいないし、彼ほど凄惨な過去を生きてきたわけではないけれども、一部の理解できた部分を以下に書き出してみたいと思います。

「負け組/勝ち組」の対立ではなく

 冒頭意見陳述では、渡邊は自分自身のことを「負け組」と規定しました。しかし、彼は最終意見陳述に至って「自分は負け組ですらありませんでした」(55)と語ります。どういう意味か。

 渡邊は、「勝ち組」のことを、努力して自分の夢を叶え、人も羨むような状態に至った人々と理解します。対して「負け組」は、努力したりしなかったりした上で、色々な事情のため自分の夢を叶えられなかった人々と理解します。つまり、この対立は「社会的に成功したか(世の中で望ましいとされる夢を達成できたか)否か」に基づいています。

 しかし彼は、どちらの人々にしても「努力すれば報われる可能性がある」という前提に立っていることを指摘します。この前提を共有できている人のことを、彼は「努力教信者」と名付けます。そして、この前提を共有していない人のことを、彼は「埒外の民」と名付けます。渡邊によれば、埒外の民とは「自分は何をしても報われる可能性は無いと信じており、したがって努力するという発想がなかった人間」です。整理すると、図1のようになります。

 諧謔ではなく本気で「負け組」を自負し、「勝ち組」に嫉妬するという構図への違和感は、加藤智大も表明していたことでした。しかし渡邊はこの構図から距離を置くだけではなく、「その構図からさえも排除されている自分」を語る言葉を考案しました。この「埒外の民」という語の発案によって、彼の自虐の前提にあった「負け組/勝ち組」という対立は、本当はその外があるもの、一種の「設定」であることがはっきりします。

「設定」への執着が事件を引き起こした

 渡邊は、負け組というのが、自分自身にとってはある種の設定であったことに思い至りました。そして、その負け組という設定への執着こそが、事件を起こした本当の動機であったと主張します(56)。曰く、事件を起こしたのは「自分を存在させていた3つの設定の特に『マンガ家を目指して挫折した負け組』という設定を再び自分で信じ込めるようにするため」です。

 彼は、その負け組という設定は(それがどんなに貧弱であったとしても)社会とのつながりであり、それを失ってしまうことは恐ろしかったと語ります。そして彼は、加藤智大の著作『解』等を参照しつつ、「事件を起こさないためには社会とのつながりを複数持っておく必要がある」という意見をいったん支持します。

 しかし渡邊は、そのように社会とのつながりを増やしておくのは「対症療法の徹底強化」でしかないと述べます。彼は実際、オタクとして趣味に没頭し趣味縁を作ることにも、ネトウヨとなって内輪を作ることにも身が入らず、続けることができなかったからです。加藤や渡邊が実際にそうであったように、社会とのつながりがいつどんなきっかけで切れてしまうのかは、その人自身にもわかりません。また、自分自身がそのつながりを「取るに足らないもの」「無に等しいもの」と思ってしまうなら、どれだけ多くつながっていても意味がありません。つながりを作るにしても、結局、つながりを認識する自分が自分自身をどう把握しているかが問題なのです。その問題を措いて社会とのつながりを焦っても、実は存在しているつながりをそれと認められずに右往左往したり、無理な「設定」維持のために他人を害したりする可能性が残るからです。

 とはいえ渡邊は、人とのつながりを作ること自体を否定してはいません。そもそも「設定」を作るな、そこまでして社会とつながることを求めるなと主張してはいません。彼だって、社会から全面的に放り出されることは恐ろしいと感じます。だからそうならないように、必要に駆られて「設定」をこしらえてきたのです。例として分かりやすいのは仕事に就くための面接です。どうしてこの職場で働きたいのか、という面接官の質問に対して、誰もが何らか「設定」を語って回答とします。そこで正直に「生活費を得るため」と答えても「では他の仕事でもいいですよね」と返されてしまうからです。さらに渡邊のように一か所に居ついていない経歴を持っていると、「どうしてそのような経歴なのか」と理由を尋ねられることもあります。そうなると、面接官をとりあえず納得させ、しかもまるきり嘘ではない設定をでっち上げる必要が生じます。渡邊の語る「大学を中退し漫画家を目指していた」という「設定」は、ごく実利的に選び取られた就労戦略です。

 また、たとえば学校では「模範的な生徒」「問題児」「いじめられっ子」などの設定が、学校生活のルールとの関係によって割り当てられるでしょう。あるいは漫画が好きな人たちとつながるためには「ある頃から漫画を読むことが好きになって、特にこの作品が好きで……」という設定が求められるかもしれません。

 こうした設定は完全に嘘であるということもないので、多くの人は状況に応じて設定を次々繰り出すことを特におかしいとも欺瞞的だとも思わなくなります。しかし、渡邊が「クリエイターを目指していた」という設定について、実利的な理由ででっち上げたものにすぎないと語ったように、「設定」が自分の実感から乖離していると感じ続けてしまう人々も存在します。

 私にもこの乖離の感覚は多少理解できるのです。私はたとえば、就職活動のときに「当の企業を志望した理由」を聞かれて、これまでの経験、あるいは意識せずに身に着いていた技能などを持ち出し、それらがまるで当の企業に就職するための布石だったかのような物語をでっち上げたことがありました(志望する企業ごとに毎回)。本当に吐き気がするような体験でした。まるで生まれた当初からその会社に入って能力を発揮するために生きてきたかのように私は自分の半生を語りましたが、私の人生がそこまで計画立っていたはずもありませんので、自分に虚偽広告を貼って売り捌くことを強いられているかのようでした。

 またここまで酷くはなくとも、私は志望の大学に行くための面接をしたときに「設定」を作ったこともあります。私は哲学を専攻できる大学を志望したのですが、正直、私が哲学専攻に行こうと思ったのは、なんとなく格好よさそうだとか、就職につながりそうな実学をうっすら軽蔑していたからだと思っています(し、当時そう語ったツイートも残っていました)。積極的に選ぶほどの理由はなかったのです。しかしそのような消極的回答では面接の担当者に「どうしてもじゃないなら他行けよ」と呆れた顔をされ話が続きませんので、何かもっともらしい設定をこしらえる必要がありました。親族中に哲学を学んでいた人がいたというのも理由としてありましたが、それもどこか安易に思えました。そこで「倫理の授業でソクラテスの名前を知って、プラトンの著書を読んだら面白かったから哲学を志した」という設定を作りました。当時の私は『ソクラテスの弁明』を読みはしても、内容はほとんど理解していなかったのですが。

 卑近な例が続きましたが、ともかく、もっともらしい「設定」利用を一切やめてしまったら、現行の社会とつながることは相当難しくなります。しかし社会とつながるために即席の設定を作り出したり入れ替えたりしても、社会とのつながりがその労力に見合わない気がすることもあります。加藤や渡邊がそうだったように、設定を維持するために、無関係の人を害してしまうこともあるかもしれません。

 では、彼らはどうであれば事件を起こさずに済んだのか。彼らは、自らの個別的な経験を格差社会にまつわる物語によって説明するのではなく、つまり「負け組」という設定を自分で信じ込もうとするのではなく、「負け組」という自負に染まり切れない自分を直視できればよかったのです。そして、負け組ですらないかもしれない自分が一体どういう者であるのかを、誰の共感も反発も呼ばないとしても、自分の納得のいく言葉で思い切り語ることができればよかったのです。ときに設定から離れた自分を仮想して語ることが、彼らにとって、「設定」に翻弄されているすべての現代人にとって、とりわけ重要なことだったのです。

 渡邊は、被告人質問を経験して以降、自らが社会参加の便宜のために「設定」をでっちあげてきたことを自覚するようになっています。そして、「漫画家になれなかった負け組」が設定だったなら、その設定とは少し異なる自分が厳密にはどんな者であったのかを、獄中で見定めようとしました。加藤もまた、ネット掲示板上や職場で、自分が社会とつながるための設定をこしらえたということは自覚していました。しかし、彼自身ほんとうは不細工でも負け組でもないなら、一体なんなのかということを追求はしなかったのです。そこが二人の違いでした。

自虐者から生存者へ

 「負け組」という語彙を「設定」に基づくものとして放棄し、自虐の前提を批判していく自虐論的思考は、渡邊の場合はある逆説的な結果をもたらしました。彼は自らの自虐的な認知の過剰さに気づき、もはや過度に自虐的には振る舞わなくなるのです。

 彼はどうして自分が自虐するようになったのかを振り返ります。そして、自分の実感から乖離せずに自分を語ることのできる言葉を手に入れていきます。たとえば彼は周りからは「怠け者」と評価されていましたが、本人としてはいつも恐怖と戦っているという実感を持っていました。劣った自分――「ヒロフミ」と、遥か上にいる他人たちという自虐の基本構図はあくまで基本構図でしかなく、彼自身は劣等感というだけでは終わらない「叫び出したい気持ち」、やり場のない怒りも抱えていたと気づくのです。

 そうして「負け組」と自負していた自分を、ある単純で歪んだ認知の様式をもつ自分自身として語っていくと、彼は留置所の日常の中で奇妙な事態がいくつも起きていることに気がつきます。彼は普通に喋っていても「渡邊さんは自虐的な物言いが多いですね」と刑事から言われるので驚きます。また髪を伸ばしたままにしていると、見た目がますます汚くなると彼自身は信じていたのに「髪が長くなって随分と見た目が優しい感じになりましたね」と留置担当官から言われてまた驚きます。彼は留置後の日常の中に、自分の過剰に自虐的な認知を裏切っている経験を一つ一つ見つけていくのです。そうしていくうち、彼は次のような変化を経験することになります。

自分は誰からも嫌われていると思っていました。

自分は何かを好きになったり、誰かを愛する資格はないと思っていました。

自分は努力しても可能性はないと思っていました。

自分は異常に汚い容姿だと思っていました。

どうもそれらが間違った思い込みに過ぎなかったと理解した瞬間に、今まで自分の感情を支配していた対人恐怖と対社会恐怖が雲散霧消してしまいました。(57)

 それどころか、彼は自虐的な認識によって、今までに多くのあり得た可能性を不意にしてきたのかもしれないと思うようになるのです。彼が挙げた例では、小学生の頃に同級生がミニバスに誘ってくれたのを断ってしまったり、上司からの「酒は飲むか」という問いを「食事に行こう」という誘いとして認識できず無下にしてしまったりといったことです。

 また彼は、初めて留置場の居室に入ってもすぐに寝つけるような、自分の物怖じしない性質をも発見することになります。そして次のように語るのです。

 自分は30年間ビクビクと天敵から逃げ回る小動物のように生きて来ましたが、本来は物怖じせず何でも楽しくやれる性格の人間だったのではなかったのかと、今にして思い始めました。

 自分だって認知が狂ってなければ努力もできたでしょうし、恋人や友人だってできたでしょうし、それなりの大学に入っていたでしょうし、それなりの仕事にも就けていたでしょうし、茫漠たる怨恨を抱くこともなかったでしょう。そうなっていれば絶対にこんな事件を起こしなどしませんでした。(58)

 自分にはあらゆる可能性がないという自己認識から、彼は随分と遠いところに来ました。彼はここで、ありえたかもしれない可能性を(過去のうちにですが)見ることができているからです。

 このような回心を経た彼は、もはや他人の言葉を自虐的に捻じ曲げることはなく、賛辞を賛辞として受け取ることができるようになります。そして、彼は過酷な幼少期を自分なりに生き延びようとした自分の知恵と工夫に正当な評価をつけることができるようになります。すると、彼は「私は被害者だった」と語ることができるようになります。彼は先ほどの、ありえたかもしれない可能性を想像した後、こう叫んでいます。

「自分の正しい認知を返せ! 自分の30年の人生を返せ!」

と自分は言いたいのです。(59)

 上野千鶴子はかつて、DVの被害者が被害者であることを認めることはしばしば困難を伴うと語りました。

私は被害者だった、って認めるのは大変なことなんです。私が被害者であると認めることは、被害者であることは当然その裏で加害者を指定するということですから、私の被害について私に責任がないというマニフェストでもある。だから当事者性の獲得は、被害者であることを認める場合でさえ、エンパワーメントなんですよ。それは元従軍慰安婦の人たちの証言を見ているとそう思いますね。私の受難は私の責任ではない。 被害なんだよということを言われて初めて自分が犠牲者って言えますよね。だからそれを弱者であることの自己承認と間違えちゃいけないんですね。エンパワーメントという言葉は私は使いたくないんですけど、何ていうのか、 弱さの表現ではなく強さの表現なんですよ、それは。

(上野)(60) 強調田原

 自虐的な認知をもち、実際に経済的にも社会的にも弱者であり、その上で何らかの事件を起こしてしまった人は、しばしば「弱者であることの自己承認」に陥ってしまいます。冒頭意見陳述で、「負け組」としての自分を全世界に誇示した渡邊もそうだったでしょう。彼は世の企業と漫画家の藤巻(『黒子のバスケ』作者)を始めとする成功者たちが受けただろう、これから「無敵の人」によって受けるだろう被害の大きさについて熱弁していました。つまり、彼は自分こそが苦しかったとは言わず、他人の受けるだろう被害についてのみ饒舌でした。しかし、彼は自虐の深化に伴って、「私こそが被害者だった」と語ることができるようになったのです。

 これは古くは雨宮処凛によって語られていたこと(61)ですが、そもそも自虐者が自分を責めるのは、責める相手を特定することすらできないからです。

 実際、冒頭意見陳述の時点の渡邊は「正体不明の『何か』に罰されている」という感覚を持っていました。ただ、その「何か」が彼にとってもわからなかったために、直接害してきたわけでもない人々に八つ当たりをした、という構図から彼自身も抜け出せませんでした。しかし、最終意見陳述時点の彼は、この構図をはっきり自覚しています。

 「埒外の民」は自己物語や周囲からの怠け者としての評価と「人と社会に対する恐怖と戦った」という主観やそれに伴う心の疲労度合の矛盾に苦しみます。そしてその原因が分かりません。さらに心のどこかで「自分だけが悪いのではない」とも思っていますが、その責任の帰属先が見当もつかない上に、そのような考えをもったことに自己嫌悪します。さらに実際に努力をしていませんから、ティーンの時代に使われるべきだった肉体的なエネルギーが不完全燃焼な状態で残っています。このような状態では自分の負け組としての運命をスムーズに受容できず、茫漠たる不満や復讐願望を心の奥底に貯め込むことになります。ですから「埒外の民」は有害化してしまう可能性があります。(62)

(強調田原)

 すでに見たように、彼は自らの半生を振り返り、自分を常に罰してくる「何か」は過度にネガティヴな認知だったと看破しました。また自分をそこまで追い込む環境を作った8人の人間を特定するに至ります(63)。責める相手が特定できれば、自分を責める必要は薄れます。これは、自虐者から「生存者」(survivor)への一歩です。

 渡邊は虐待やいじめによって彼が望みもしなかった自虐的な構図を手にしてしまいますが、その構図から出発して自分の半生を注意深く語ることにより、最終的に自虐を自分にとって無用のものとし、生き延びていくのです。

殺さないために

 かつての渡邊は「負け組」の設定を自分に信じ込ませようとし、成功者への嫉妬だと称して、脅迫事件を起こすことに熱中しました。その過程では、加藤智大のように死傷者を出してしまう可能性もあったでしょう。しかし実際にはそうなりませんでした。渡邊自身は、それは「偶然」だったとしています。また彼の陳述に対するインターネット上の感想を見ていると、彼が事件で死傷者を出さなかったのは「彼の根っこの部分の優しさのようなもの」(64)や「善性」(65)に由来していた気がする、という記述が出てきます。私もたしかにそう感じました。しかし私は、彼が死傷者を出さなかったのは彼の価値観にも理由があったと考えています。その価値観とは、自分に対する肉体的苦痛も精神的苦痛も決して受け入れないということです。

 彼はとくに肉体的苦痛への嫌悪を強く表明します。彼は最終意見陳述で「無敵の人には肉体的苦痛しか恐れるものがない」(66)と述べていました。そう述べるということは、少なくとも、無敵の人だった彼自身は「肉体的苦痛は怖れている」ということです。実際彼は、つまずいてひじの骨を骨折したときには仕事を早退して病院に行きますし、事件の準備も中断します。腕が痛いくらい大したことないとか、痛みをおしてでも働いて犯罪のための資金を得るべきだと彼は思いません。腕が痛いのは彼にとって大変なことです。彼はたしかに自分のことを無価値で生きるに値しないと感じていましたが、だからといって、殴られたり拷問されたり、痛みを乗り越えてまで自死やその他の目的を追求したり、自傷行為を行ったりすることは絶対に嫌なのです。自虐者はリストカッターやBDSM実践者と(重なることはあっても)一致するわけではありません。まして連合赤軍でそう求められていたように、殴られて「ありがとうございます!」などと感謝することはあり得ません。勘違いしている人も多いかもしれませんが、彼のような自虐的言動は肉体的な苦痛の受容や希求を意味するものでは全くないのです。渡邊にとって「価値のある肉体的苦痛」など存在しません。

 また彼は、精神的苦痛に関しても避けられる苦痛は避け、できるだけ最小化しようとして生きてきました。彼は専門学校に通っていた頃、自分の作品が酷評されたために通学をやめた経験がありました。その経験について「それでも努力しようとは思わなかったのですか?」と質問されると、彼は次のように答えています。

災禍を最小化するために、クリエイター希望という設定にしていたんです。酷評されることは災禍です。(67)

 彼が専門学校へ入学したのは、もともと志望の大学進学が叶わず浪人にも困難を覚えており、働いてもいじめられると信じていたため、最も苦痛が少なそうな進路だったからでした。しかし、彼は専門学校の中でも、苦痛に出会うとあっさり学校をやめてしまうのです。

 事件を起こすまで、そして事件を起こした後も、彼にとっては他人からの批判を回避することが重要な関心事でした。彼はアルバイトでも専門学校でも、耐え難い批判を受けたなら「設定」を放棄してその場を去り、他人とのコミュニケーションを一時的に打ち切りました。匿名掲示板でわざわざ批判を待ち構え、批判者とのやり取りに熱中していた加藤とは対照的です。もちろん、渡邊も事件実行中から冒頭意見陳述までは、加藤と同じようにネット掲示板や雑誌『創』上で批判者への応答を続けていましたが、そもそも彼は世の批判を先取りしようと、自虐的なパフォーマンスをふんだんに導入していたのは前章で確認したとおりです。どれだけ自虐をしていても、本当に他人から批判されれば多大な苦痛を覚えるので、できる限り批判を最小化しようと手を尽くすのが自虐者です。

 このように自分に加えられる苦痛を正当化しない人間は、他人へ与える苦痛も正当化しません。だから彼は、他人の殺傷に踏み出した森や加藤と違って、脅迫という隠微な暴力をふるうことしかできなかったのです。

死なないために

 事件を起こしていた頃の渡邊は、世の中に明確な影響を与えられたら早々に自死することを計画していましたが、その自死は延期に延期を重ね、そのうちに彼は拘留され、とうとう決行されることはありませんでした。つまり結果的に彼は生き延びることになりました。彼が自死しなかった理由も、彼が人を殺せなかった理由と同様、彼の価値観にあったと私は思っています。

 彼は、自分の置かれている苦境が、純粋に自分の努力不足のせいだと実感したことはありませんでした。彼は、自己責任論を信奉し自分の苦境を純粋に自分の責任だと感じて自殺を決行できてしまう人を「狭義の努力教信者」と呼びます。先に述べたように、彼はそもそも「自分の人生の充実のために努力する」という発想がない「埒外の民」だったので、自分の苦境を純粋に自分の責任だと感じられもしません。

 「埒外の民」で「努力教信者」ではありませんでしたから、自殺を決行できるまで自分を責めることもできませんでした。(68)

 虐待といじめのもとで、あまりに頻繁な苦痛を最小化するため自分なりに必死に考えて行動してきた彼は、「怠け者」という他人からの評価を本当に受け入れることはできません。なぜ自分が怠け者とされ、怠け者と呼ばれる者の末路を引き受けなくてはならないのか、彼には理解できなかったのです。夢への努力という発想もなければ夢破れることもない、負け組ですらない、自分の人生を他人事のようにしか感じられない人間には、当然、自殺によってその人生の落とし前をつけるべき理由もわかりません。「負け組」で終わることのなかった彼の自虐は「私は自殺という自己実現すらできない」という結論に至(69)って、彼を自死から遠ざけることになったのです。

 

 もし「生き延びるための自虐」というものがあるのならば、「自分に対する肉体的苦痛も精神的苦痛も受け入れない」「自分の苦境を純粋に自分の責任だと信じられない」という、2つの価値観が鍵になるでしょう。その価値観を持つかどうかは渡邊の言うように「運」なのかもしれませんが、自虐的な世界観の下にある人がこの2つの価値観に近づこうとするならば、渡邊がそうであったように、幸福や最善には至らなくとも最悪を避けることはできると私は信じます。

渡邊のその後(という妄想)

 しかし、いったん最悪を避けられた渡邊の今後はどうなのでしょうか。最終意見陳述に至っても、出所後に自死するという彼の主張は変わっていません。そして彼は2018年に出所予定であったので、本書の執筆時点ではすでに出所しているはずです。しかし、彼が自死したという報道は調べた限りでは出てきません。

 私はとりあえず、考えられるだろう渡邊のその後を勝手にシミュレートしてみました。とりあえず思いついたのは次の4つです。

  1. 宣言していたとおり、自死を実行する
  2. 恨む対象を特定できたのでそれらの人々に復讐する
  3. オタクになる、その他何か娯楽的なことに熱中し社会とつながって生きていく
  4. 自分と同じような虐待・いじめ被害者のために活動する

 1. については、私は蓋然性は低いと思っています。彼は依然として、自分の苦境は自分のせいだと責め続けて努力教に殉じることはできないと思うからです。とはいえ彼は、もはや埒外の民として人生を他人事のように眺めもしないでしょう。いつ、どのように自分の物語は終わるべきなのか、自死するならばその肉体的苦痛と向き合うことが可能なのか、彼は考え続けるでしょう。

 2. については、私はおそらくすでに述べた理由で渡邊は選ばないだろうと思っています。彼は他人を害するほどに自分の痛みに無感覚ではありません。

 3. は最も無難でありそうな未来かもしれません。実際、彼は音楽グループのEXOへの偏愛を最終意見陳述中で語っています。ただ彼の「社会の現状認識」(70)と卓越した批判能力を鑑みると、彼自身の熱中がある部分で「システム」にとって都合よく働くことへの葛藤も持つことになるかもしれません。すると彼はいつか、現代社会でオタクとして生きることの自虐論を展開することになるかもしれません。

 4. は、精神科医香山リカが提案していた(71)生き方です。私はこれもありそうなことだと思います。ただ、人の来歴の個別性を非常に重く見る彼は、それぞれ異なる経験を持っている虐待・いじめ被害者たちに届く言葉を自分が語れるのか、苦悩し続けるでしょう。楽な道とは思えません。

 私の貧しい想像力で考えられることはこのくらいです。ただ、渡邊が出所後に何をするにせよ、おそらく彼は彼自身を(必ずしも否定的にではなく)語り、彼の物語を作っていることでしょう。彼は事件を通して「負け組」の物語を更新し「生ける屍」の物語を作りましたが、現在の彼は「元『黒子のバスケ』脅迫事件の犯人」の物語を、私の知らないどこかで語っていることでしょう。

 彼にはもう粗雑な自虐的認知は必要ありませんが、たぶんその生き様はこれからも自虐論的であり、自虐する自分を冷静に見つめ始めたすべての自虐者にとって永遠の参照点なのです。彼のような稀代の自虐者は、今後半世紀は現れないでしょう。

 

51.     渡邊前掲書、 p. 131。

52.     ちなみに、人々のそれぞれ異なる経験をいつの間にか型にはめてしまうように機能する物語のことを、物語療法の分野では「ドミナントストーリー」と呼ぶことがあります。浅野前掲書p. 24を参照。

53.     同書、p. 239。

54.     同書、pp. 287-288。

55.     同書、p. 265。

56.     同書、p. 264以降。

57.     同書、p. 274。

58.     同書、pp. 278-279。

59.     同書、p. 279。

60.     加納実紀代編『リブという“革命”―近代の闇をひらく』、インパクト出版会、2003年、p. 45。

61.     「怒っているけど、社会との回路が切断されている人が怒ったら、自分に向かうしかないので、もう自殺するとか自傷行為をするだとか、もう本当に内に内に怒りが向かっていって。」連合赤軍事件の全体像を残す会編前掲書、p. 293。

62.     渡邊前掲書、p. 251。

63.     渡邊前掲書、p. 281。

64.     Saito「切ない「努力教」について。「黒子のバスケ」脅迫事件犯人の最終意見陳述にちょっと共感してしまった。」、『F Lab..』、2016年6月11日(https://linguo-inst.com/entry/kurobasu/)、最終閲覧2022年9月24日。

65.     qf4149「【積読日記】生ける屍の結末」、『考の証』、2021年6月14日(https://qf4149.hatenablog.com/entry/2021/06/14/011804)最終閲覧2022年9月24日。

66.     渡邊前掲書、p. 290。

67.     渡邊前掲書、p. 217。

68.     渡邊前掲書、p. 300。

69.     もちろん苦痛回避が最優先の渡邊にとっては、緩やかな苦痛が当分続くのでこの結論は絶望的かもしれません。しかし、彼の言うシステム内の不満を趣味の享楽でごまかすオタクにも、人種差別で憂さを晴らすネトウヨにもならず、努力教に殉じて死ぬこともなく彼が生き延びていくとするなら、その生存自体が、システムの存続に対するひとつの抵抗だと評することはできそうです。彼がそれを望むかどうかはさておき。

70.     渡邊前掲書、pp. 295-300。

71.     渡邊前掲書、p. 319。

 

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