思うこと

植物と私

以下の文章は、水上文『monologue』に収録されている観葉植物についての記録に触発されて書いたものである。しかし、その記録とこの文章がどのように関係しているのかは必ずしも明確ではない。読み返すともはやほとんど関係がないような気もしてきた。 植物…

友情――水上文『monologue』の解説について

mizuaya.booth.pm なぜ私がこの本を開くに至ったかという質問は受け付けていない。そもそもこのブログにコメント欄は設けられていない(今後設ける予定もない)。 インターネットで活動中の面識のない相手に言及することには独特の困難がある(この記事の第…

『息あるかぎり私は書く』という本を読んだ感想(あるいは執筆を終えての反省)

先日、このような本を作りました。 今この世に生きている他人たちがこの本について何事か書く可能性はかぎりなく低いと思ったので、自分で自分の書いた本の感想を書くことにしました。

遺言としての自己表現―ある人のnoteについて

経緯 今回は作品紹介の記事とは言えないかもしれません。 数日前、ブラウザのお気に入りを整理していたらあるサイトに行き当たりました。そしてそのページを管理している方のnote(ブログのようなものです)を何とはなしに読み、衝撃を受けたのです。これは…

「この街には何もない」ということ―『タビと道づれ』から

いつもの通り自分語りから始めますと、私は都市らしい都市までは確実に一時間半ほどは要する中途半端な郊外の出身であり、今もそこに住んでおります。この街はなにか全国区の名物を有しており、休日のたび観光客がせっせと足を運ぶ……などということはほとん…

作品の公開と不可能な廃棄―芦原妃名子「月と湖」から

私は、一年ほど前に次のような記事を公開しました。 今でも基本線はここにあるつもりですが、さすがに雑駁に過ぎるとの印象が拭えません。いくつかの点をまったく省略した、素描にすぎないものであることは明らかです。少しずつ補足していく必要があるとは前…

作品を養うものと批評―『もう卵は殺さない』の比喩から

ご無沙汰しています。現在まだ就職活動中ですが、そこからの逃避に何か書こうと思い立ったところです。 さて、ところで私は、ここで何らかの作品をとりあげてべらべらと喋ったことはあまりありませんでした。前々回の記事くらいでしょうか。しかし実はと言う…

「自分に厳しく、他人に優しく」から始まる思考実験

「自分に厳しく、他人に優しく」。どこかしらで耳にするひとつの道徳的な教えかと思います。私たち若者の中にはスレた輩も多く、そんなことを大っぴらに口にするのはどこか憚られる雰囲気もありますけれども、周りによく話を聞いてみればそれを格率としてい…

イキイキとした活動と躊躇いと俯きがちな人

記事の内容や敬体の末尾表現にすらロクに統一性がないこのブログ、初めてブログっぽく日々思ったことを適当に書きます。 最初に思いついたのは、何に関してでも、躊躇いが無くなった瞬間というのが一番狂ってて物騒なのだろうということです。感情任せにそう…

女生徒の感覚

最近はこの先何をテーマに研究しようか考えているが、その候補が一つあるので書き留めておく。 中学以来、今よりもっと実存的な気分になり、日々が苦痛だと感じていた時期に必ず抱いてきた感覚がある。それを実に精確に言い当てていたのが、太宰治の『女生徒…