ヤンデレ・メンヘラ的形象に関連するMV・音楽20選

本当はBlogger.comを利用している第2ブログのほうで公開しようと思ったのですが、JASRACの保護下にある楽曲の歌詞を掲載するには通常申請が必要であり、包括契約を結んでいる「はてなブログ」のほうが適していると考えたため、こちらで公開します。

留意事項

今回は18歳未満には推奨しない暴力的、性的なコンテンツを含みます。また、「ヤンデレ」「メンヘラ」という言葉を使う人の話など聞きたくもない、という方はここでブラウザバックをお願いします。

最後に、この記事はいま何かメンタルヘルス上の問題を抱えている方に対して処方箋となるものではありません。実践的なアドバイスを求めている場合は他を当たってください。

目次

 

中学~高校にかけての私が、ヤンデレ・メンヘラ的な形象と事故的に出会い、そこにある種の破壊力を感じていたことは以下の記事で見てきた。

hesperas-drafts.blogspot.com

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そういった形象は未だ、世のそこかしこで発展・継承を続けているように思われる。例としては、メジャーだったりそうでなかったりする日本の音楽のMVにそれらが流れ込んでいる。私は今回、YouTubeのレコメンドに従い、そのいくつかを確認することができた。

並べて聴いてみると、「病んでいる人たち」のイメージがどう変形していくのか、何から生まれ何を目標に利用されているのか、少しだけ見当がついてくる。

 

1. Reply ASAP!

Neko Hacker - だーいすきだよ feat. をとは

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具体性が高く、同時代的な心情が詰め込まれた曲だ。開始2秒でいきなり核心に踏み込むこの曲は記事を始めるのにふさわしい。

スマートフォンに送ったメッセージに対してすぐに返信しないことを、MVの人物は責めている。そして、電池が切れていたと言い訳をする恋人に対し、スマートフォンの充電の残りを確認して「充電が早いね」と返す。彼女は言い訳など無意味であることを暗に示して、すぐに返信するようにプレッシャーをかけ続けている。常時こちらに突きつけられているナイフや、圧迫感のあるドラム・ベースの鳴らし方もその圧を強めている。

ただ、恋人の言い分を疑う(本当は返信したくないのだろうと考える)ことは、相手はもはや自分に興味を失いつつあることの承認でもある。曲の後半では、恋人の行動を誘導できているという自負は後景に退く。2回目の「もちろん私を選ぶよね?」は、わかりきった答えの期待というよりも、そう信じさせてほしいという懇願にも聴こえてくる。

 

Neo feat.Nqsi - ホンメイ

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曲調は異なるが、メッセージアプリにおける「言い訳」についての猜疑を控えめに発露させている点は『だーいすきだよ』と共通している。

求めすぎて重ねる追いLine
「寝てた」なんて言い訳
そこに絶対ないよ一貫性

ホンメイ

「一方通行の愛」「君にとって私はセカンドレディ」と名指している分、俯瞰する目線と諦念が入っていることは確かである。それでも同時に、永続的な関係を望み信じていることを、相手に伝えるでもなく秘めているのは前曲の一部パートと共通だろう。

 

nyamura - はーどもーどかのじょ

youtu.be

「ねえ スマホ見せて」のようなプライバシーへの侵入をインターネット経由で行うと、この曲のようになる。所謂ネトストである。歌の主体(あたし)は、ブロックしてもアカウントを消去しても追いかけて見つけ出す千里眼的な権能を誇っている。

ちなみに彼女もまた、執着する相手の「言い訳」を鵜呑みにしない。

だから嘘ついたら/一瞬でわかるよ

(中略)

「みんなとげーむしてくるね」/嘘だ!

『はーどもーどかのじょ』

……『ひぐらしのなく頃に』?

 

2. I have nothing / Delusion

かいりきベア feat.初音ミク - ダーリンダンス

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単語というより1音を反復して音頭を取るあたりがボカロっぽい曲だなと感じる。

この曲には「私」の卑下が定型として現れることに注目したい。

なにもない なにもない 私 なにもない

『ダーリンダンス』

もちろんこうした卑下は、これまでの曲にもさりげなく示されているものだった。

こんなワタシだけど
愛してくれるよね
いつまでも

『だーいすきだよ』

成人ニート引きこもりゲー障
どうしようもないね
一緒に生きようね

『はーどもーどかのじょ』

そして終盤に現れる次の一節は、相手からの返事を期待すること、それが挫かれることへの失望である。

無い無い返答を 期待したり

『ダーリンダンス』

「私には何もない」という感覚は、「だから本当には相手からの関心を引き続けられない」という無力感と関係があるのだと思う。

jon-YAKITORY feat.可不 - うぉんちゅーばっど

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「私には何もない」という感覚と「だから関心を引けない」の関係を鑑みると、この曲も少し受け取り方が変わった。「愛嬌なんてない」というのはおそらく「私」のことだろうが、それに先行する「一切興味ない」と「絶対動じない」は、相手の様子(と「私」が認識したもの)のことだと解釈できる*1。自分なりにアプローチを試みるも、暖簾に腕押しという状況が描かれているのだろう。

それでも「一生そっけないなんてヤダヤダ」と思った「私」がどうするか(どうなるか)、この曲は2つの方向性を示している。一つは、「妄想」である。ただ、この曲にはその妄想がどのような内容なのかが示されていない。あるいは、次の情景自体が妄想なのかもしれない。もう一つの方向性は「監禁・緊縛」である。この曲のMVからすると、懸想する相手を捕まえて部屋に監禁する、あるいは殺して静物として愛でる、という情景が想像できる。どちらにしても相手は「お人形さんみたい」に動かなくなる。こうなってしまっては、当初の「キミに言わせたい」、つまり、自分の言ってほしい言葉を相手に言ってもらうという願いは叶わなくなると思うのだが(動かないのだから)、それはもうどうでもいいのかもしれない。

「純かどうかなんてね/もはやどうでもいいことなんだね」と後半では歌われる。この、純でない方向について、引き続き別のMVにより考察する。

 

ましゅくるん - はんでぃきゃっぷ♡がーる!feat. 初音ミク

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「妄想じゃなくて本当なんだって」と歌われる世界観をどこまでマジにとっていいのかわからないが、「白昼夢」や、

キミとの恋はおとぎ話!
キラキラの世界観のファンタジー
それに恵まれないわたしアンラッキー!

『はんでぃきゃっぷ♡がーる!』

という節から想像される情景は、思いのほか寂寞がある。誕生日に洗濯機を回しているだけで誰もいない、酔ってラヴソングを聞く、不眠に悩まされている、手首を切っている等。こういうことを考えると、題の「はんでぃきゃっぷ」という文字列が急に重く思えてきて胸がざわつく。「キミ」と歌われている人物と「わたし」の関係はよくわからないが、理想的なものではないらしいということはわかる。だから妄想するのだ。

 

ESHIKARA - 妄想アスパルテーム feat.picco,初音ミク

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こちらは逆に、妄想と冠されている割には相手への積極的な要求があり、対話を試みている感じがする(自己完結的ではない)。上と共通するものとすれば、アルコールやその他の化学物質の中毒になることが相手への感情表現のフックになっていることだろう。

これまで扱ってきた曲と違い「DD」や、「推し」など(ネット)アイドル、配信文化の語彙が導入されている。また、シャンパンを空けるというところに、ホストに通う人の暗喩を読み取った人もいるようだ(コメントより)。

他にも、即時の応答を求めることを電話のコール音で表したり、「息をするように嘘ついて」と言い訳を糾弾したり、これまで追ってきたMVの要素をバランスよく配合していることがよくわかる。結果的に、かなりの間口の広さを獲得している歌詞だ。

 

ت - 恋愛兵器!りーさるうぇぽんちゃん / feat.KAFU

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彩度の高い水色とピンクの画面が『妄想アスパルテーム』と共通しており、言葉の掛け方も似ている気がするが、内実はかなり異なる。『うぉんちゅーばっど』の導入の屈託を切り捨てて猟奇的なところを強調すると、こうなることも不可能ではないだろうという感じ。もはや監禁・脅迫というか快楽殺人になっており、個人的にはあまり好きではない。愛する人というより匿名の「死体」や「遺体」自体への興味は、漫画の『リバーズ・エッジ』を想起させるようなところがあり、「イド」や「リビドー」などのフロイト用語も相まって、内容的にはどこか90年代の香りがする。「にゃんにゃん」を動詞として使うのはもっと前の時代のセンスだと思うが、現代の人に意味が伝わるのだろうか。

 

(3). Sex doll / body modification

「私には何もない」という人が、しかし誰かの性的な遊びの相手になりうることだけは肯定しようとする場合がある。たとえば次のような。

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そんな当事者が自らを名指すときに「ラブドール」という比喩を利用することがある。

わたしはただの♡♡ドール?

『はんでぃきゃっぷ♡がーる!』

私はこれについて称揚も非難もする立場にない。ただ、私がこういう社会を維持しないために個人的にできることは少なくとも2つある。まず有償無償にかかわらず誰とも性交渉をしないこと。そして、より難しい課題だが、自分には何もないと感じさせる言葉を誰にも与えないことだ。

この「ラブドール」というイメージは、自分の身体を組み換えカスタマイズすることができるという可能性を、そう名乗る人に意識させることがあるようだ。すると特定の人間の目を引くことよりも、各パーツに課金し、個人として見た目の魅力を増大させることに目的が切り替わる。個々の恋愛から、それらを超えた普遍的な美という流れには、プラトン『饗宴』の美学が帰ってきたような感触もある。

おそらく「かわいくなりたい!/キラキラしてたい!」(『妄想アスパルテーム』)や、「プリティプリティダイエットDAY」(『ダーリンダンス』)というフレーズの延長線上に、次のような曲がある。

悪魔のキッス - カスタムラブドール

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「修理費」をもらい、手術によって未知の姿へ。これがひとつの解決なのか私にはわからない。しかし、もはや「病み」のしんどさは、別のしんどさに変換されているのではないか。ヤンデレ・メンヘラ的形象の融点がここにある*2

 

(4). Princess

リリぴ - I♡

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特徴的なのは、鏡よ鏡~から始まる、白雪姫モチーフの一節である。一言でいうと、ローカライズされた西洋趣味とメンヘラ・ヤンデレ的な形象が接合されたのである。このMVでひどく取り乱す人物が纏う「ゴスロリ(ゴシック・アンド・ロリータ)」風の衣服は、ヨーロッパの(上流階級の)服飾文化に淵源があるというが、私はもはやその取り合わせに違和感を覚えない。

童話の形を取って日本国内で広がる西洋の典型的イメージは、この曲以前にもニコニコ動画等で一定の存在感を発揮していた気がする。『少女ノワールあるいは悪徳の栄え』『ドロッセルの剣』「七つの大罪シリーズ」など。

ryo - ワールドイズマイン

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ローカライズされた西洋趣味を取り入れると、相手への要求を次々に繰り出すことが、尊大でナルシスティックな「姫」のイメージに重ねられる。自身とその恋人との関係は、姫と「王子様」(あるいは従者?)との関係に翻訳される。

この曲の詞には、今まで見てきた曲と同じように、応答が十分でない相手を操縦しようと苦心しているようないじらしさもあるが、脅迫やプライバシーの侵害とは無縁である。「おひめさま」は、何かあっても地団駄を踏むくらいで「ワタシかインスタのアカ消し」と迫ったりはしない。

それは、(自分にとり相手にとり)自分と競合する存在などいないという自負があるからだ。インスタに住む有象無象など初めから眼中になく*3、ただ相手を立派な王子様に教育することだけが問題になる。

この曲を私がヤンデレ・メンヘラソングに分類しきれないのは、この自負があるからだ。「姫」はSNSで比較する必要を感じない。「私には何もない」とは思っていないのである。そして一線を超えることはなく、相手を完全に破壊しない、教育に使える程度の力加減を心得ている。

 

しかし近年の変化もある。「おひめさま」の伝統を意識させずにはおかない「我儘姫(わがままひめ)」という曲では、姫の要求は取り巻きたちを破滅させていくだけで、それに堪えうる人物が現れる兆しはない。

ふじを - 我儘姫(わがままひめ) / 初音ミク

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姫はもはや誰かを王子様へと教育することを放棄し、最初から完全な王子様を待ち望んでいるが、べつにそんな人物が現れなくともそれなりに満足してやっている。コミュニケーションの不如意など深夜の気の迷いにすぎない。誰もこの無敵感を崩すことはできないので、「病む」こともなくなる。これも一つの出口である。

 

5. Responsibility

『I♡』という曲は、他者(あなた)に対して要求以外のことも行っている。責任者の指定である。

アブラカタブラ 傷口なぞって

魔法かけたのは貴方でしょ?

 

あなたでしょ?

『I♡』

歌う主体に「魔法をかけた」責任が、「あなた」には帰される。「わたし」の好意はわたしの中で勝手に募るはずであり、そこにはこれまで見たような妄想も大いに絡んでいるはずだが、その究極の原因があなたに帰されることになる。

では、魔法をかけた「あなた」は、どのような責任を負っているのだろうか。まさにその内実を同じアーティストが題材にしている。

リリぴ - 責任取ってよね

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ここで「君」に求められている責任は、「メッセージにすぐ返事をすること」にとどまらない。それは『ワールドイズマイン』で求められていたような、頭からつま先まで相手の微細な変化にも目を配り、何も言わなくても手を取ってエスコートする所作まで含んでいる。言わなければしない時点でもう駄目である。「花を枯らす」ようなケア能力の欠如、必要を感受できない鈍感さが「無責任」と非難されている。

そして同時に「君」は「意気地なし」であってもいけない。ガラスの靴を履かせる……要するにステディな関係になって婚姻に進むつもりがあるなら、早くそう決断して行動せよと言われている。思い切りの欠けている相手(草食系?)への苛立ちは、暴力に転化されないまでも題材になり続けてきた。

milk boy - YouTube

今日、依存して。/ AVAM - YouTube

この責任を担うことのできる、かつ、思いきりのいい人が見つかればそれはそれでよい。では、お相手がそうではなかった場合には何が起こるのか。次節か次次節で確認してほしい。

 

(5.1). Blame for Infidelity

私は狭義の浮気をする人の心情に共感できたことはないし、当事者として浮気をされて憤ったこともない。だから、浮気をした相手に憤慨する*4内容の以下のMVはどこか遠い世界の出来事に思える。しかし、ある方がほのめかしていたように*5、MVの「浮気男」は、専心ということを知らず、膨大なコンテンツを次々口に放り込むオタクに通ずるところがあるのだとしたらどうだろう。

あるクリエイターを称賛したと思えば次の瞬間には興味を失う、あっちのアニメが面白い、あの男(たち)が尊い、あの美少女(たち)が萌える、この抜ける画像をRTと、節操もなく目移りしている私(たち)。まあそういう自省が高級であることにはならないが、なにか妙な流れを作る前に立ち止まる機会を与えてくれるかもしれない。

ロス - 浮気??

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あー Left見て Right見て 大変ね?
手を付けたくてしょうがない プリンセスでいっぱい!

『浮気??』

例えば、botみたいに毎時間違うコンテンツにハートマークを付けSNS上で拡散している人など見ると、本当に大変そうである。私も高校生なら同じことをしていたかもしれないが、今はもう時間的にできない。

たかやん - 浮気は犯罪行為

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「感情任せでごめんなさい」とあるけれども、とんでもない、一から十まで丁寧に批判してあげている人の歌だと思う。

「やり返しても意味がない」ことをわかっているので、浮気男を刺しまくり去勢する動作はあくまで妄想の中に留まっている。そして「そもそも素敵な恋愛って何」、「今後、子供を産んでく意味って何」というような根本的な疑問も混ざってくる。

MVの人物は、具体的な相手への恨みから、親密性のゲーム自体を疑うことに至りつつある。あるいは、いずれ飽きるならどうして求めることになるのかと、厭世的な気分に浸っている。それは、私がつい漫画やゲームや18禁コンテンツをたくさん買ってしまったときの感情に似ている。

 

MARETU - 【初音ミク】 ダーリン

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「そもそも素敵な恋愛って何」という疑念からこの曲に接近しようとすると、引っかかるのは次の部分だ。

魔法みたいな 夢みたいな
ファンタジックな物語が
世界に感染!不快に蔓延!

『ダーリン』

手を繋いで 場を繋いで
ファンタジックな すったもんだが
頭脳に感染!危険に発展!

「物語」や「すったもんだ」と言い表した時点で、その人は恋愛(のいざこざ)だけが人生ではないという視点を持ち得ている。

この曲のカバー版動画のコメント欄に、興味深い解釈を残していた方(@shinobuki5063)が居た。この歌は、恋愛伴侶規範にまみれている世の中の滑稽さや残酷さを、アロマンティックな視点から諷刺しているのではないか、と*6

この解釈をとるならば、曲の仄めかす暴力の宛先は全く違ったように見えてくる。これまでの浮気男の去勢や、『恋愛兵器!りーさるうぇぽんちゃん』、『うぉんちゅーばっど』の後半のような猟奇テイストからしたら、その標的になるのは恋愛関係の中で誤魔化したり遊んだりとあらゆる不誠実を働く(無責任な)男であろう。しかし、実際のところ「愛の強制ミューティレーション」を受けて不具にされるのは、「わからないこと」や「耐え難いこと」を叩き込まれるのは、未だに恋愛でパートナーを見つけることが想定されているこの社会の全成員なのではないか。

人生に激しい恋愛が欠けていると「だって、それじゃあつまらないでしょ…」と言ってくるそこのお前ら。お前らだよ。お前らのせいで顔面ストレート受けた気分になったり、自分で眼球をくり抜く羽目になってる人がいんだよ。

(咳払い)、この曲は、今私がしたような説教(抗議? 愚痴?)のような外形は成していない。しかし、恋愛についての「枯れない妄想量」「いかれた情報量」が一人ひとりを締め上げていく場面のスナップショットとして、この曲を受け取ることもできる。

 

ここまで見たような、浮気男を徹底的に糾弾する私刑のイメージは、その糾弾者の個別の虚しさや憤りにも共感の余地を残した上で、各人の性愛にルールを刻み込む力の描写として読み替えることができる。これはある形象の終わりというより利用の仕方の問題だが、そういう政治的社会的な利用を試みる人がもっといても良い気がする。

 

(5.2) Resignation / Compromise

八王子P  - 気まぐれメルシィ feat. 初音ミク

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楽しくノリが良い曲調とステージだが、呆れ、諦め、妥協というプロセスが直截に感じられる歌詞である。即レスを促し、妄想し、「おひめさま」を気取り、責任を強調し、たどりつくのがこの境地だとしたら、何も新しいことはなく拍子抜けかもしれない。

“いつかアタシだけ” そんな夢見たこともあったけど
寂しい時だけ電話して
もううんざりだわ!

『気まぐれメルシィ』

「わたしだけをみて」「信じているからね」と温めていた祈りはもはや無い。「キミが好きなのは自分でしょ」という身も蓋もない言い方で相手への期待は切って捨てられる、ように思われた。しかし結局彼女は「しょーがないな」と、相手との関係を継続する。メルシィ(mercy)=(罪人に対する)あわれみ、慈悲。それが大事、ということになるんだろうか?

 

GigaReol×EVO+ - [A]ddiction

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序盤では、歌の主体が返事を待つ側ではなく、返事をする側になっていることに注意してほしい。いまや立場は逆転した。しかし、立て続けの連絡をもらう側になったこの人が、本当に忙しくて返事をしたくないのか、相手を焦らす戦略としてそうしているのかはよくわからない。「本音は言わないほうが悩ましい」のだとすると、たぶん後者だと思うが。

しかし、かりに策を弄したところで次のような諦念からは逃れられない。

わたし以外いらない そういう言葉は期待するだけ無駄だって知ってしまった
愛し方が解らないよ ねぇ

『[A]ddiction』

こういう虚しさを覚えながらも、相手にはとりあえず積極的な態度でこちらに向かってきてほしい、という願いが歌われる。化学物質の名前や妄想という語は出てこないが、それに類する陶酔に至ろうとする人の姿がある。酒を飲んでも理性飛ばせない人が一生懸命飲み会で楽しくなろうとしているような状況に思えて少しつらい。

 

PSYQUI - ヒステリックナイトガール

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何が発端かはわからないが、とりあえず口論が起こっていることはわかる。しかし、互いに一歩も引かず肉弾戦になるのではなく、まもなく次のようなブレーキが効いて憤りは内に閉じ込められる。

最低なんて言わないで「大変、遺憾」で大正解

『ヒステリックナイトガール』

相手の行動原理が理解できず、関係を継続することがくだらないと思いながらも、生活は続く。帰宅、夕飯、夜明け、繰り返される口論という厭なループに入り込んでしまった閉塞感を感じる中で、相手に求めるのは「逃げんなよ」ということだけだ。幼い頃、一時期に一週間単位くらいで口論を繰り返していたが離婚はしなかった私の両親のことを思い出す。彼らはなぜあのとき互いに逃げなかったのだろう。そして、この曲の2人が互いに逃げてはいけない理由は何なのだろう。

 

6. Neither to be nor not to be 

「ここ」ではないどこかに完璧な希望を温め続け、かつ、「何もない」劣等感を覚えていることにこそ、ヤンデレ・メンヘラ的形象の特殊な力の源泉があった。現実の泥臭い対人関係の中で失望し妥協を覚えることでその力は減衰する。あるいは、自分には確かに何かあると思えるなら最初から正当に努力するはずだ。これは結局、思春期を越えれば人間自然と落ち着きが出てくるという話にすぎないのだろうか。あるいはまっとうに能力開発をして成功体験を重ねて自信をつけろという話になるのか。なぜ、すでに何もないと感じている人間がそのうえ人と関係して失望し、さらには努力しなければならないんだ?

Pvin Connect Reason - 絶望luv (feat. u_ni)

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「ねえ こっちを見て」という気分や、アルコールを精神安定剤として使うような日々を綴ったこの曲は今回取り上げたものにも親和性があるはずだ。ただ、「誰より強くなってみせるわ」と宣言したにもかかわらず、実際に続くのは次のような、時間が止まったような世界観、生活が続くことも生活を終わらせることも拒否するような絶対的な気怠さである。

生きていたくないのはほんとだよ
死にたくないのもほんとだよ

『絶望luv

見えないものを消えないものを
追いかけてもどこもありゃしないよ
死ねないのでも生きれないの
先にある光が見えないもん

すごい人が言ってるLife goes on
言われても僕は信じないよ

人生が続くことは今のこの厭さを何も解決しない。生きることと死ぬことは対立していない。鬱状態にある方はしばしば「死にたいというより、生まれなかったことにしてほしい」と訴えるらしく、ある気分障害で自殺未遂をしていた知人も同じようなことを言っていた記憶がある。どちらもやりたくないという手触りこそがリアルなものだ。ヤンデレ・メンヘラというのはこの意味で、怠惰な(社会的にあるいは生存の上で、努力とみなされることを何もしない)存在であるはずだったと私は思う。いや、フィジカルに一生懸命活動するヤンデレの形象もあるよという向きもあるだろうが、私はそれは偶発的なものにすぎないと主張したい。たとえフィジカルな活動が伴っても、ベースにあるのは現実の日々から乖離した妄想の力だ。

根本的に 痛い異常行動
支える枯れない妄想量

『ダーリン』

画面の前から一歩も動かずに、「インターネットはあたしの海だから」と、30個のSNSアカウントを操る(『はーどもーどかのじょ』)。そういう人がそのままでいられる社会が到来すべきだと思う。

 

 

時間経過と個人の失望にまかせていても、身動きできずジリ貧になる側と努力して燃え尽きる側に振り分けられるだけだ。その両端をいやいやながら往復している人の姿は、私もその一人であるが、耐え難いものがある。だから必要なのは次の分析である。どうして非現実的な「責任」が親密圏ではまかり通るのか、あるメッセージアプリを使うときの独特のプレッシャーは一体何なのか、「自分には何もない」となぜ思うようになるのか、「姫」がわがままで横暴だというイメージは妥当なのか(どう作られたのか)、なぜ女性の美には価値が付与されるのか。他にもあるだろうと思うので、私に是非教えてほしい。

*1:ただし、英語字幕では"I'm not interested at all/I never get upset" となっているので、私の読みは作詞者の意図とは異なるのだろう。

*2:ところで、このMVのゼロ年代を強く意識したような意匠は何を示唆しているのだろう?

*3:そもそもこの曲が投稿された2008年には、Instagram自体が存在していなかった。

*4:ちなみに、浮気が喝破されたあとの話ではなくて、そもそも浮気を告発するかしないかみたいなところにも交渉があるらしい。そこで司法的な語彙を使うと『恋愛裁判』のようになり、互いの化かし合いという側面を強調すると『キュートなカノジョ』・『カレシのジュード』のようになる。知らんけど。

*5:

note.com

私は、近年の病んだ恋情愛着を歌ったボカロ系の作品はある程度、ファンもアンチも入り混じっており判別ができないギャラリーないしオーディエンスへの、クリエイターの立場からの不安や期待、愛憎が託されているのだろうと憶測している。

*6:

【UTAUカバー】 ダーリン (Darling) 【ダーリン Prism】 +UST - YouTube