『生き延びるための自虐』試し読み(16章)

この記事は、個人誌の『生き延びるための自虐』試し読みです。

予告なく削除されることがあります。

dismal-dusk.hatenablog.com

 

第16章 文芸部、その個人的な由来

 本書は「どのように」自虐をするべきかについて考察してきました。しかし、自虐を行う場所によって、自虐のやり方も制約されるのではないでしょうか。例えば、加藤智大は匿名掲示板だからこそ、つい過激な言葉を使ってしまいました。そして渡邊博文は、裁判における意見陳述の機会で自虐をしようとしたため、最後まで語れず一定時間で打ち切られてしまいました。

 自虐する場所を適切に選ぶことができれば、自虐も自ずと適切な仕方になるのではないでしょうか。「どこで」自虐をするべきかという問題を考えなければなりません。

 

 ある人がよりマシな形で自虐するために適している場所を、私は仮に「文芸部」と名付けます。

 文芸部といっても、そこにいる人たちはみんな詩や短歌、小説、評論などを書いているというわけではありません。各々が書いたものを集めて同人誌を作ることもしません。文芸部のメンバーは、何も共同して行っていません。ただ、文芸部のメンバーとしてそこに居て、各々勝手に自虐を行ったり行わなかったりし、時間を過ごします。

 このような場がなぜ「文芸部」という名前なのか。それを説明するには、私の高校時代の話をしなければなりません。

私が所属していた部活

 私が高校の頃所属していた部活も「文芸部」を名乗っていましたが、実態は一般に思われる部活動未満のものでした。活動日は特になく、共同してやることといえば年に何度か小説や絵をまとめて部誌を出すだけで、基本的には部室で各自本や漫画を読んだり雑談したり、菓子をつまむなどしている人々の集まりでした(実際、部誌に原稿を載せたことがないという部員は珍しくありませんでした)。

 私が通っていた当時の学校というのは、大っぴらに漫画やゲームの愛好を口にする人は落ちこぼれとして扱ってよいかのような雰囲気が未だありました。多かれ少なかれその手の趣味をもつ文芸部員たちは、クラスに話し相手が誰もいないということも多かったようです。しかし文芸部の部室の中では、彼らは疎外感を感じることなく過ごせたのかもしれません。彼らは必ずしも共同で何かをしていたわけではないのですが、ただ同じ空間にいる、人目をはばかる必要がないということが心地よかったのだろうと思います。

 ただ、当時の私はあまり熱心に部室に通うことはありませんでした。私は、部員たちがわざわざ部室で漫画を読んだりゲームをしたりすることの意味が分かりませんでした。一人でできるのだから、そして別に作品について議論するわけでもないのだから、部室ではなくて家に帰ってから取り組めばいいじゃないかと思っていました。

 また当時の私は、自分も高校生でありながら、高校生と雑談することがどうしても好きになれず、この世にそれほど無駄に疲弊する行為はないと思っていました。しかし、部室や教室に誰かがいるのに、言葉を交わさず読書に集中するということもできませんでした。それが、周りの人たちへの拒絶を表明するような、不遜なことに思われたからです。だから私は授業が終わるとすぐに家に帰って、一人自分の部屋でゲームや読書に明け暮れました。

私は私の文芸部を必要とした

 しかし、私はそれだけで青春をやり過ごすことはできませんでした。一人自分の部屋で読書をすることも、ゲームをやり続けることも苦痛だと思えるときが不意に訪れます。突然全てが興ざめに思えて、一人遊ぶことすらできなくなってしまう。他人の前に姿を現さなければ、消えていくような気がしてしまう。ただ、それで他人から話しかけられ、何かを言わなければならなくなったら、きっと失敗して嫌われてしまう。会話を始めたら、沈黙が流れたら、全てが終わってしまう。そんな気分のとき、私はいつもSNSを開いて自虐をしていました。

 オフラインの文芸部すら耐えられなかった私も、似たような場をSNS上に見出していました。私はその場で画面の向こうの人と会話したり、一緒に何かを作ったりすることは望みませんでしたが、チラシの裏ではなく、PCの記憶装置の中ではなく、ほかに人間がいる場に文章を投稿して、姿を現すことを必要としていました。そんな私は、特に用事もないのに文芸部室に現れる同級生たちとそれほど異なっていなかったのです。

 私はたしかに、誰かと遊ぶよりも一人で遊ぶ方が得意でした。しかし、あることが得意であることと、それを心から望むことは違います。私は、誰とも一緒に時間を過ごさなくていい、自分はそれが嫌いだと、心から思ったことは一度もなかったのだと思います。私は、何らかの形で可能ならば、誰かと過ごしたかったのです。

 そもそも、私が部室に行かず、他人との交流を避けるように行動したのは、他人そのものが嫌というよりも、「他人に自分のことを不快に思われること」が嫌だからです。しかし他人から不快に思われるのが嫌だというのは多くの人が感じるところで、別に珍しいことでも何でもないのです。私は何か特殊な感性を持った「人間嫌い」であったことは一度もありませんでした。

 考えてみれば、私が帰宅して向き合っていたゲームや本の中に描かれていたのも、結局のところは人間たちとその関わりでした。人が登場しない物語も世の中にはたくさんありますが、当時の私はそのような作品を手に取ることは稀でした。人が人と関わる物語に私は夢中になっていました。私の理想とする場所には、やはり他人たちがいました。

 当時私のいたSNS上では、文字通りの人の姿は認められず、画面越しに他人から言葉が届くこともありませんでした。しかし、そうした反応すらなくとも、私の投稿を誰かが見てくれていることが数字で確認できました。そういった、ほとんど思い込みかもしれないほど微かな他人の気配(1)が、私にとっての「文芸部」の意味だったのです。

 

 長くなってしまいましたが、私の「文芸部」のイメージはこうした経験から来ています。その中では、誰も共同して何かをするわけではなく、会話もなく、人の姿すらはっきり見ることができません。しかし、自分の言葉を誰かが受け取ったらしいことだけは確認できます。その確認によって、たった独りのままで誰かといることができる場所、それが私にとっての文芸部です。

 そして私の経験上、文芸部は最終的には自分で見出さなくてはならない場所です。私の文芸部は、高校のころ同級生たちがいた文芸部の部室とは別のところにありました。私はそれを探したり作ったりする必要がありました。おそらく文芸部は、「ここがあなたの文芸部です」と他人に指定されるのではなく、一人一人が、現実のどこかに見出さなくてはならないのです。

 私は私の文芸部をもち、そこで自虐を行うことで、運よく生き延びることができました。他の人もそうすることができるのか、できたとして生き延びられるに十分かは、正直わかりません。しかし、私はあなたに最悪を避けてほしいと思っているので、いま自虐をして何らか具合が悪そうだと思ったならば、あなたの文芸部を探したり作ったりすることを検討していただきたいのです。次章からは、そのための情報を参考までに提供したいと思っています。

 

1.     このような感覚は別に私の特異な経験ではなく、TwitterなどのSNS出現間もない時期に「アンビエントアウェアネス」(ambient awareness)と呼ばれたものに通じています。
    SNS上では多くの人がささいな日常の動作を絶え間なく発信していますが、それを継続的に見ている人は、発信者の生活リズムや周辺の人間模様などを正確かつ親しみをもって感じられるようになることがあります。アンビエントアウェアネスとは、そのような能力や状況を表す概念でした。次の文献を参照。
     小林啓倫『リアルタイムウェブ「なう」の時代』マイナビ出版、2010年、第4章。
     Clive Thompson "Brave New World of Digital Intimacy", The New York Times Magazine, Sept. 5, 2008(https://www.nytimes.com/2008/09/07/magazine/07awareness-t.html).