『生き延びるための自虐』発行について(序文、目次掲載)【試読追加】

制作の経緯

『「ハネムーン サラダ」の隠し味』という個人誌を作ってから、自虐について考えていました。

このブログでも、「自虐について」というカテゴリの中でいくつか文章を書いたことがありました。しかし最近書いていた文章は、自分のためだけではなく他の人のためにも役立つようにしたいと意識していました。特に、いま自虐をしている人、「自虐しなければならない」という気分になっている人にとって役立つ文章を書きたいと考えていました。なぜなら、そのような人が死んだり殺したり、最悪な方向に行ってしまうと私の居心地が悪いからです。

このブログや私のTwitterアカウントを昔から見ていただいている人はご存知と思いますが、学生の頃、私はなぜか、インターネット上でものを書くには自虐するほかないという気分になっていました。1年か2年そこら自虐をし、その自虐する自分について言及するという不毛な作業を続けた結果、特に何も得ることはありませんでしたが、死んだり殺したりという最悪は避けて、思春期を生き延びることが一応できました(その時々で嫌なこと、すべきでなかったと後悔したことはもちろん無数にありましたが)。

しかし、私が学生時代に関わった人の中には、自ら命を断ったり、行方が知れなくなった人も何人かいました。彼らに非常に近いところにいた私がそうならなかったのが不思議なくらいでした。私が思春期を生き延びたという事態は一体何なのか? こうして私が生き残ったことには何か意味があるのか? あるいは、そんな問いを立てること自体時間の無駄なのか? そういう宗教的な気分にもなってきます。

私は生き残ったのはおそらく、私が自虐的になっていた時のことを証言し、それを他人が参照して反面教師にするために、これ以上私の周りで人が死んだり殺したりが起こらないようにするためだろうと、そう思うことにしました。私や私の知人に似通った人が死んだり行方知らずになるのを聞くと私は大変嫌な気持ちになるので、できるだけ起こって欲しくないのです。

そういうわけで、今回は私の自分語りも多少交えつつ一冊の本を作りました。

(表紙のデザインは仮)

ただ、もちろん私の経験は、何年か前の時代における、私の生育環境に紐付いた経験であって、時代も地域も異なる今の若い人がそのまま参考にできるものだとは思っていません。だからこちらが歩み寄らなくてはいけないものだろうと、なるべく私の経験だけにとどまらないように、一般的な話も、私だけではない自虐的な人の話も、今の時代の話もできるように心掛けたつもりではあります。

当の本は、自虐について何か理論的な関心をお持ちの方にも興味を持ってもらえるかもしれない内容ではありますが、私としては、いま自虐する人に手に取って欲しいハウツー本の類だと考えていただければと思っています。

頒布方法、広報など

11月20日文学フリマ東京35に申し込んだので、そこでお披露目できればと思っています。

bunfree.net

イベント後、自家通販を行う予定です。当ブログリンク「個人誌」から販売場所に飛べます。

また、1ヶ月ほど前になったら、何らかの配信サイトによって内容の紹介などをするかもしれません。生活にそこまでの余裕ができなかった場合、しないかもしれません。やる場合はブログとTwitterにその旨告知します。

以下に現段階での序文・目次を掲載します(発行時には変更される可能性があります)。

序、あるいはお断り

 本書が想定する読者は、(主にインターネットを利用して)自虐をしたことがある、または現に習慣的にしているという人です。

 したがって、この本は自虐をしたことがなく現にしてもいない方に、自虐を勧めるものではまったくありません。自虐をしないで済んでいるなら、それに越したことはありません。この本の目的の一つは、自虐しないでは済まない人が、どのようにして、いつ、どこでなら、よりマシな形で自虐することができるのかを考えることです。

 しかし、自虐する人といっても一枚岩ではありません。とりあえず、3つ質問があります。

  1. あなたは、ここ1ヶ月の間に、インターネットで「死にたい」「自殺したい」ということばを書きましたか。
  2. あなたは、ここ1ヶ月の間に、リストカットや打擲などの自傷行為、もしくは過量服薬を行いましたか。
  3. あなたは、ここ1ヶ月の間に、自殺の具体的な手段などをインターネットで検索し調べましたか。

 一つでも「はい」と答えられた場合、この本よりは、まず次のWebサイトを参照していただくほうが良いかもしれません。

shienjoho.go.jp

 もちろん、自殺未遂を繰り返したり、自傷行為に巻き込まれながら、自虐を続ける方もいます。ただ私はそこまで死や身体の痛みに接近している方までは、読者として想定できませんでした。なぜなら、私がそういう人間ではなかったからです。

 死ぬのは痛そうだし、いやだ。でも毎日を過ごすことはつらいので、あるとき煙のようにふっと消えることができたら一番いい。そんな妄想をしながら、死ぬのはどれくらい痛いのだろうとか、どう死ねば痛くないだろうかとか真面目に検討はしなかった。私が読者として想定できたのはそのような人です。死や痛みについて、今は特段の興味が無く、ぼんやりと嫌だなあと思っている人です。逆に言えば、自分が惰性で生きてしまうことは強いて否定しない人です。

 この本のもう一つの目的は、「自死したり誰かを殺したりする」という最悪を、いま自虐する人に可能な限り避けてもらうことです。だから死んだり殺したりすることが必ずしも悪いとは思わない、と思われる方には、この本が何をやっているのか全くわからないと思います。そのような方の興味には、倫理学の本のほうが応えてくれるでしょう。

 また、もうひとつ質問があります。

  • あなたは現在(あるいは自虐していた当時)、なにかはっきりと好きなものや自信のある分野をもっていて、それで人と関わることができていますか。また、そのことに納得していますか。

 この問いに迷いなく「はい」と答えられた方には、この本はあまり必要ないのではないかと思われますし、特に後半にはまったく共感できないでしょう。

 自分は何かのオタクであるとか、何かの政治信条をもっているとか、人々の啓蒙のために活動しているとか、そう表明すると、社会と何らかの形でつながることができます。そういうつながりを全く持っていない人は多分いないでしょう。しかし、本書が想定しているのは、こういうつながりやそれを作るための表明が、他人事のような「設定」や「演技」に思われてしまう人です。だからどこか既存の集団の中でも浮いていて、何者であるとも自認できず、居場所がないと感じられる人です。

 私は本書の中で、そういう人たちでこそ単純に集まって語り合おうとか、私のコミュニティに入りませんかなどと提案はしません。その人が、その人以外の何者とも自認できないまま生き延びるためにはどうすればよいか、本書ではある程度考えてみました。

 

 オタクにも陰謀論者にもなれず、死ぬこともできず、(インターネットで)自虐する人。簡潔に言うと、本書の想定読者はそのような人です。もし思い当たる節があれば、読み進めていただければと思います。

 この本は3つのパートに分かれています。第Ⅰ部は、「なぜ自虐が単純には肯定しがたいものなのか」という問いを立てます。自虐する人自身がその問いを立て、答えようと試みると、自虐は内側に折り込まれて変形していきます。この変形の様子を、かつて自虐していた私自身の思考の道筋も例にとりつつ確認します。自虐の有害性をひとり糾弾しようとする試みは最終的に、自虐の根本的な脆さ、嘘臭さにたどり着くことになります。

 第Ⅱ部は、3人の犯罪者たちが記した自虐的な文章を読んでいきます。その読解を通して、死んだり殺したりしないためにはどのように自虐したらよいかを考察します。

 第Ⅲ部は、それまでの考察を踏まえて「どこで」自虐するべきかを考えます。自虐が禁止されず、かといって犯罪予告や不健全な集まりにも導かれないような場所の条件とは何かを確認したうえで、その条件を作り出すことのできるサービスや取り組み、その利用法をいくつか具体的に提案します。
 第Ⅰ部は抽象的な話が多く、少し無味乾燥に感じられるかもしれません。具体的な題材をお好みなら、第Ⅱ部から読み始めていただいても問題はありません。第Ⅲ部はSNSやネット文化について多く言及されるため、あまりインターネットに興味の無い方には理解しがたい部分もあるかもしれません。話半分に聞いていただければと思います。

目次

序文、あるいはお断り

目次

第一部 自虐とその深化
1 自虐の三要件
2 自虐の構造とメタ批判
3 メタ批判と自虐論的自虐―大阪大学感傷マゾ研究会の活動から
4 「己れの闇は己れの闇」——田中美津の戒め
5 自虐論的自虐の実例Ⅰ
6 自虐の攻撃性について
7 自虐論的自虐の実例Ⅱ
8 自虐の公開と自己イメージの形成
9 自虐の物語と自己を語ることの不可能性

第二部 危険な自虐 自虐的な犯罪者たち
10 ひとりツッコミ、ネットミーム、夢は殺人――加藤智大
11 自己批判、相互批判、総括――連合赤軍
12 革命家、敗北、ヒロイズム――森恒夫
13 嫉妬と「ひとり裁判」のあいだで――渡邊博史
14 自虐者な生存へ――渡邊博史(再)
15 最悪を避けるために

第三部 文芸部へ
16 文芸部、その個人的な由来
17 文芸部の条件と仕組み
18 文芸部を探す/作る
19 参入と退出
20  3つの心配

補遺 自虐者の周りの大人たちへ

コラム

自虐と皮肉
正しさは相対化できない
「モテない」という自虐には注意
「いいね」の意味、「フォロー」の意味

あとがき しかし、誰のために?

 

なお、一部の章の元になった文章は以下のリンクから読むことができます。加筆修正前なので、直リンクや試読以外の目的での利用はご遠慮ください。(要Twitterフォロー)

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