天竜川ナコン「インターネット・ピエロ」の詞を深読みしたら最終的に人生が捗ってワロタ

どうも、田原夕です。

突然ですが、今日は天竜川ナコンという方の作った曲を解説していきたいと思います。

まずはご視聴ください。

youtu.be

 

聴きましたか?

どんな気持ちになりましたか?

私は、かつてインターネットで自虐的な投稿ばかりしていた頃の鬱屈を思い出したような気がしました。自分を突き放して見るとともにそこで麻痺しているような、独特の感じを思い出しました。

でも、なぜ?

私は音楽に疎く、音響の面からなにか言えることは少ないのですが、画面に表示されていく詞や映像を手がかりにしながら、私がそう感じた理由を探っていきたいと思います。

 

不本意な生活→世の中へ突っ張る」だけではなく

この詞で歌われている人物、仮に「インターネット・ピエロ」(IP)としますが、彼はどうやら孤独で裕福ではない毎日を送っており、その生活に不満をもっているようです。これは次のいくつかの節からわかることです。

「ほったて小屋みてえな家」「嫌々見せられてるYOUTUBE広告・その他」「マジックみてえに残高なくなる」「何もかも終わってる/だから布団にいる」

不本意な生活を送る彼は、目にしたインターネットの広告や群衆に、中指を立てたり、「馬鹿にすんな」と突っ張ったりしています。

しかし、そうして突っ張っている彼は、そのようにインターネットで時間を潰すような自分自身の怠惰や無気力さにこそ、自分の終わってる生活の原因があるのではないかと考えてもいます。

そもそも、自分が不本意な生活をしている原因が自分の外にあると考えているならば、訴えを起こし改善を求めるに越したことはありません。外敵の姿がはっきり見えていると思えた人はラッキーです。大抵の場合、自分の人生の成り行きの原因について仮説を立てることはできても、厳密に特定し証明することはできません(各ターニングポイントに戻って人生をやり直し比較検討するわけにはいかないからです)。そして原因を特定できない気がするときには、これまでの自分自身の振る舞いがその一因であることも完全に否定はできません。

だからこの詞のIPは、鬱屈のうちで匿名の人々に突っ張りながら、すかさずその突っ張る自分を対象化し、その卑小さをも嘲っているようにも聴こえてきます。このような手続きが、私のかつてしていた自虐に通ずるところがあったのだと思います*1

 

インターネット・ピエロと聴衆の不可分性

この曲のIPは、聴衆に対して突っ張った次の瞬間にはもう、自分自身を嘲ることに成功してしまっています。その具体的な例を3つほど確認してみたいと思います。

①「光の速さでクソリプしてる/嘘つき、すぐわかる/てめえのアイコンの目を見りゃ」

なぜ、(アイコンの)目を見ただけですぐそれとわかるのでしょうか? おそらく、彼がインターネット上で嘘をついている人を見すぎているからだと思いますが、そんな技能を持つに至っている彼も、彼に見抜かれる無数の嘘つきも、しょうもないインターネット中毒者という点では同じ穴のムジナではないでしょうか*2? するとこの後に続く「馬鹿にすんな」も、効果的な突っ張りというよりは、上滑りして、どこかユーモラスに聴こえはしないでしょうか。

②「エクセルの関数の一部みてえに俺の人生を扱うんじゃねえ/敬具」

この前半は一見すると、自分の時間を一定額で売りさばくことを強いられる労働や、自分の投稿への反応数をグラフにまとめ管理を促すSNS提供企業等への反感を表していると思われます。しかし後に続くのは「敬具」という、主にかしこまった手紙やメールで形式的に相手への親愛を示す言葉です。おそらくこのIPは、それらの忌々しいシステムを作り上げた人々に対して、両義的な感情を持っているのではないでしょうか。新しいシステムによって自分の人生は一面では手応えのないものになったが、他方で別の種類の快感や自由も確かに享受するようになったのだと。そのことへの怨みがましい気持ちと歪んだ感謝の念が「敬具」という言葉で皮肉っぽく表現されています。

慇懃無礼という言葉がありますが、不自然にかしこまった様子は、逆に相手を小馬鹿にしているような印象も与えます。「謹んで申し上げる」ことが原義である「敬具」をラフな語感の続く中に交えたのは、そのような効果を狙ったものでしょう。

キレてんのか
キレさせられてんのか
もしくは笑ってんのか
笑わされてんのか
もしくは泣いてんのか
泣かされてんのか
はっきりしてくれや
インターネット
ピエロ マジで

「キレてんのか/キレさせられてんのか」を始めとする3組の対は、能動的にやっていることなのかやらされていることなのかわからない、という状態を示しています。これは、聴衆に対して一生懸命突っ張ったり笑ったりするときにふと俯瞰してしまい、むしろ聴衆の側から足元をすくわれているような気分になってしまうIPの心境でしょう。

しかしより巧みなのは、太字の部分です。ここは音を聴いても画面を見てもわかりますが、一挙に「インターネット・ピエロ」とするのではなく、字面でも発音上でもあえて区切られています。そのため、「はっきりしてくれや インターネット」ともつながるし、「はっきりしてくれや インターネット ピエロ」ともつながります。

もし「インターネット」で切れるならば、それが表すのはインターネットのSNSやその他サービスにいる多数の利用者のことでしょう*3し、「インターネット ピエロ」がひと繋がりならば、それはSNS等でピエロを自任する自分自身のことでしょう。つまり、IPが自分自身の定まらない心境に困惑しているのか、あるいはそのように揺らぐ自分の輪郭をうまく確定してくれない聴衆に苛立っているのか。どちらの解釈も十分に説得的です。

以上に確認したように、この詞では語彙の選択やその前後関係によって、IPとその聴衆との不可分性が解釈上残るように工夫が凝らされています。詰められるべき者として、聴衆と自分自身は同じ身分なのです。

では、このような不可分性を示すことの意味とは何だったのでしょうか?

 

インターネット・ピエロたちの行末

一般にいうピエロは、聴衆に笑われる(聴衆を笑わせる)と同時に、聴衆を笑う、世の中を諷刺する者だったと言われてもいます。ピエロは、自分自身のしょうもなさだけではなく、自分自身が立つ世の中の(つまりその聴衆たちの)しょうもなさをも笑いのネタにします。しかし、そうやって笑うピエロに笑われた聴衆は(実際にはピエロは脅威とならないので)面白がり、またピエロを笑い返します。つまり歴史上のピエロが行ってきたことは、社会体制を実際に変革する効果は見込めないかぎりでの、社会への批判的なスタンスの模擬的提示だったのです。今とは違う社会や価値観を思い描く息抜きは誰にでも(たとえ体制側にでも)必要なので、ピエロもまた必要とされてきたのだと思います。

現代のインターネット・ピエロもまた、俗悪な世の中とその中に身を浸す自分とを同時に笑いの的にする点で、ピエロの長い伝統を引き継いでいるように思えます*4。しかし彼らが活動し始めた時代ではインターネットが普及しており、相手にする聴衆の規模も情報の伝わり方も従来のピエロの環境とは全く違います(まさに「光の速さでクソリプ」が来ます)。笑うことにも笑われることにも摩耗してピエロをやめることにはならないのでしょうか。その点「インターネット・ピエロ」という曲の終わり方は示唆的です。2回目の「インターネット/ピエロ マジで」は、掠れるような、脱力するような声音とエフェクトで終わっています。彼はピエロをやめるのでしょうか?

当たり前のことを言いますが、ピエロは24時間365日ピエロではありません。ピエロは面白おかしい「演技をする」人であり、話をうまく膨らませる人として理解しなくてはなりません。だから当然ですが、この詞で「俺」と発する人物を、天竜川ナコンというクリエイターやそれを演じている生活者と同一視することはできません。例えばナコン氏が公開している別の動画で「現実実況プレイ」や遠征を行う人物や、ライブ配信で肉声を喋る人物は、それぞれかなり言動や考え方や生活の切り取り方(ぼかし方)が異なることはすぐに分かるでしょう。

インターネットのある領域では、人々が普段隠そうとしている(と思われる)要素をあえて表現するとウケが良いということがあります。お金の無さ、友達の少なさ、荒れている部屋など、そうしたものが「ほんもの」だと思われる土壌が一部で作られてきました。このことに気づいているインターネット・ピエロたちは、実質以上に自分の生活を悲惨に演出していきますし、またそれが高じた末に、インターネットに書いたほどの悲惨な生活を実際になぞってしまう者も実際にいました。まさに「泣いてんのか/泣かされてんのか」の状態です。もちろん多くのピエロたちは悲惨な生活を演出している自分自身に自覚的であり、そんなウケ狙いの自分をも笑うことで、彼らはギリギリ生き延びることができています。しかし一歩間違えれば、笑いのために命を削ることにもなってしまうでしょう。

 

「インターネット・ピエロ」という曲に話を戻すと、結局これは、みんなインターネット・ピエロになりましょうという勧めではないのです。これは、すでにインターネットでピエロをやってしまっている人の現状と、そこからの一時離脱までを歌っているのだと思います。

ですからもしあなたが現役のインターネット・ピエロであるならば、当の曲全体を素直に受け取っていただくと人生が捗るでしょう。ピエロであることに疲れたら、できれば命を絶つ以外の方法でピエロをやめましょう。現実実況プレイヤーたるナコン氏がよく言うように、スマートフォンをカバンにしまって知らない町に行きましょう。

インターネットの泥濘は、歴史上のピエロの出番が割と続いていたように、多分そんなにすぐ干上がりはしません。いましばらくの間はあなたを待っています。そこでしか息ができないような気がしたら、そのときには戻ればいいのです。

 

以上です。高評価&読者登録、お願いします。

*1:

この第3章あたりに自虐のことが書いてあります。

dismal-dusk.hatenablog.com

*2:無論、私もそうです。

*3:「インターネット」で、その一部の利用者集団を表す用法は割と普及しているようです。例えば「インターネットやめろ」という言葉がインターネット上のサービスで他人に向けて発されたときには、当然あらゆるネットサービスや通信網を利用するなということではなく、「インターネット上のサービスで特定の集団と関わるのをやめろ」ということが意味されています。例:Aiobahn feat. KOTOKO - INTERNET YAMERO (Official Music Video) [Theme for NEEDY GIRL OVERDOSE] - YouTube

*4:しかし、現代で別に制度的に差別を受ける側でもない(相対的に多数派の要素を多く持つ)人たちが「俺もオマエもどっちもどっちだろ」という言い方をし始めると、おそらく逆差別の主張に流れていくことになり、現に悪い状況を加速させる目算が大きいのですが。