江永泉さんが言及していたやる夫スレ「ハリポタ世界と鉄血のオッサム」が面白かった話

タイトル通りです。

この記事は無駄に長いですが、要するに自分の読んだものが面白かったという旨を誰にともなく報告するものです。

このようにブログらしい動機の記事はこのブログでは珍しいほうかと思います。

 

江永泉さんとはどんな人かというのは、ご本人がやられているnoteやTwitterを見ていただければと思います。

twitter.com

note.com

経緯

さて、では「江永泉さんが言及していたやる夫スレ」とは何かというと、発端は次の動画になります。

www.youtube.com

こちらは、ものを書いたり書かなかったりなにか文化芸術事業をやったりやらなかったりする方々が、その年に触れてよかった作品やジャンルの紹介をする動画なのですが、この最後に江永泉さんが「闇の自己啓発会」の一人として出演していました。

※江永さんは、木澤佐登志さん、ひでシスさん、役所暁さんとともに「闇の自己啓発会」という読書会を主催していて、その一部の記録をまとめたものが『闇の自己啓発』という書籍になっています。当の放送では、「闇の自己啓発会」とは何なのか、その読書会がどう始まりなにを目指していたのかなどが語られます。

この放送の締めとして、江永さんが「やる夫スレの話していいですか」と言って紹介されるのが、私が今回読んだ「やる夫スレ」です。

やる夫スレというのは、江永さんが放送の中で説明しておられる通り、特定の形式に沿って物語を展開する掲示板のスレッド*1、もしくはその展開された物語のことです。

江永さんが言及したやる夫スレ=物語のタイトルは、「ハリポタ世界と鉄血のオッサム」というものです。これはJ.K.ローリング原作の「ハリー・ポッター」シリーズの世界設定を下敷きに、様々な別作品のキャラクターが原作の役を割り当てられ(ときにハリー・ポッター原作から逸脱しながら)ストーリーを展開していく、台詞中心の物語となっています。

 

さて、江永さんはこの物語の何を紹介したかったのか。それは、第三章のある場面のやりとりです。

物語の主人公のオッサムは魔法学校に通っています。ある日彼は、教師のヤラナイオと面談をすることになります。その直前に行われた「自分の最も恐れるもの」が問われる授業で、オッサムが普通でない結果を見せたためです。

自分の普通でない結果が自分でも理解できず困惑している彼に、ヤラナイオは次のように言います。(AAが崩れるので画像を貼ります。目が● ●みたいなのがヤラナイオ、眼鏡してる風に見えるのがオッサムです。)

ハリポタ世界と鉄血のオッサム 第三章 アズカバンの囚人編 第七話 勇気

江永さんは、このやり取りに非常に心打たれたといいます。そして、このやり取りが「闇の自己啓発」の根底にある姿勢と響き合うものだと感じたから、当の放送の締めに言及されたのだと私は思っています。

私も、このやり取りはいいなと思ったのですが、だから必死でタイトルを聞き取って検索して該当部分を特定したのですが、このやりとりだけを何度読んでも、腑に落ちない気分が残りました。たとえば、ヤラナイオとはどういう人間なのか。オッサムはなぜ、何を思いながら「弱い人には、この世界は……」と言うのか。

それを知るためには、とりあえず頭からこの長大な物語を読むしかなさそうだと思いました。面倒くさいので本当は嫌だったのですが、江永さんがしてくれたほかに要約も見当たらなかったので、私は仕方なく第一章第一話から読み始め、まんまとはまってしまったというわけです。夜中に読み始めたせいで寝不足になり翌日の勤務は最悪でした。

面白かった点

寝不足になるくらいにダラダラと読み続けてしまったこの物語について、私が面白かった点を順に書きます。番号つけていますがあまり整理されてはいません。

 1.予想以上に暗い気分になる世界設定

 2.ワイス・シュニーとかいうやばい人(とそれに付き従うオッサム)

 3.ワイスを生み出したスレの仕組みと作者の機転

 

1.予想以上に暗い気分になる世界設定

前提として、私はハリー・ポッターシリーズ原作をまともに読んだことがありません。映画も一作も観ていません。

国内でかなり流行していた時にどうして手を出さなかったのか自分でもよくわからないのですが、第1巻か第2巻、賢者の石だか秘密の部屋だかをクラスメイトから借りてナナメ読みしたけれどまったく面白くなかった記憶だけ残っています。他にも児童向けファンタジーで面白いと思えたシリーズはたくさんあったので、当時の私は「なんだ、流行ってるくせに大した事ねえな」という感想を持っていたいけ好かない子どもでした。

そのため、今回の「鉄血のオッサム」を通してハリーポッターシリーズの設定を色々知ることになって、私は驚きました。その作品世界には意外と差別やら血統主義やらがはびこっているらしいからです(子どもの頃は気づかなかったのか?)。そもそもハリポタ世界では、人間は魔法を使える種と使えない種の2つに分かれています。魔法が使える人=魔法族たちは、魔法界という人間とは別の空間に入って魔法族だけで暮らしているようです。また、種族から違うので魔法の才能は原則として遺伝によってしか伝えられません。そのため魔法族はふつう魔法族同士で子を作り再生産しています。

すると魔法界には、人間界の人=非魔法族(マグル)との混血を嫌い、血統を重視する人たちも出てきます。中でもマグル全般を見下す人たちは「純血主義者」と呼ばれます(他称)。魔法学校(ホグワーツ)にも純血主義者はいますし、別に純血主義者だけじゃなくとも、マグルの生徒はわりとうっすら軽蔑の対象になっているようです。

こういう世界設定は要するに私たちの世界にもある人種差別やイエ制度みたいなものであり、いい大人が驚いている場合でも面白がっている場合でもないのですが、こういう世界でオッサムや登場人物たちがどのようにサバイヴしていくかというのが物語の見どころの一つです。魔法族でありながら魔法の才能がゼロであるオッサムもまた、魔法界では無価値とされる人間なので。

 

2.ワイス・シュニーとかいうやばい人(とそれに付き従うオッサム)

「ハリポタ世界と鉄血のオッサム」には、もう一人の主人公といえる登場人物がいます。ワイス・シュニーという、人間界から魔法学校にやってきたマグルの人物です。このキャラクターが色々な意味で度を超えています。

彼女は物語の冒頭、ホグワーツに向かう列車の中で同年齢のオッサムに出会い、不思議と彼を気に入り、入学以後彼について回ることになります。

ずっと人間界にいた彼女は魔法界の常識についてほぼ何も知らないため、魔法界ではマグルへの差別がみられることも当然知りません。例えば、ホグワーツは全寮制で思想傾向の異なる4つの寮があるのですが、ワイスはオッサムと同じ寮を望んだ結果、純血主義者の多い「スリザリン」寮に決まってしまいます。

必然的に、彼女は寮の生徒と火花を飛ばし合い、オッサムがそれに肝を冷やしつつワイスをかばうというのが序盤の展開となります。しかしオッサムも魔法が使えないという意味でマイノリティであり、広い人脈や寄りかかれる権威もないので、かなり厳しい道のりになるのですが……

 

まあワイスに対する周囲の風当たりの強さは彼女がマグルであることだけに由来するわけではなく、彼女自身のかなりヤバい言動にも依っています。

彼女はまず、オッサム以外の大体の人間に興味がありません。他人に愛想よくするとか媚びるという言葉が彼女の辞書にはありません。それどころか、オッサムを侮辱する者と、自分の感覚で気に入らない言動をする者に対してはすぐ手が出るという危険人物です。

また作品随一の美貌(といってもAAなのでよくわからないですが)を持つという設定になっているので、本人が望まないのに因縁つけられたりオッカケができたりし、近づいては斬られ近づいては斬られという事態が繰り返されます。

ワイスは魔法界どころか人間界の常識もない浮世離れした人ですが、それも理由がないことではありません。彼女は人間界にいた頃もまったく友達と呼べる人がいなかったので、友達との関わりを通して常識らしきものを身に着けることがそもそもなかったようです。ただその割に、皮肉や暴言で人を怒らせることは抜群に上手いという最悪の素質を持っています。ふつう常識を理解していなければ皮肉も言えないはずですが……*2

また彼女はわざわざ人間界から魔法学校という新天地に来たのに、社交に励まないどころか向学心もなく、オッサムが言うから渋々予習やレポート課題をするという有様です。唯一MTG(カードゲーム)は好きで知識はありますが、相手してくれる人はあまりいません。

まあ私がいくら言葉を尽くしたところで彼女の破綻ぶりは伝わらないと思うので、気になった人は本編を読んでください。3話くらいまででそのヤバさは十分わかると思います*3

 

オッサムがなぜこのような世を捨てた猛犬じみた人の面倒を見ているのか、疑問に思う人も多いと思いますが、その疑問は十分には解消されません。一応、彼は「困っている人のことを放っておけない」度合いが異常に強い人間*4であることは仄めかされますが、そこまでするか? という疑問は残ります。

当の二人を結びつけるものはいったい何なのか。もちろんいわゆる恋愛感情と呼べるものではないです。二人は10歳という設定ですし、ワイスは恋愛以前にまず人間と友好的に接するところから始める必要が生じています。両者はべつに似たところが多いわけでもなく、だからといって正反対というほどでもない。おそらくは、互いが互いに対して感じる差異と類似のバランスが似通っているから、なんとなく離れ難いのでしょう。

以前、セカイ系について書いたときにも思ったのですが、優れているにせよ劣っているにせよ何らかの意味で周囲から孤立する異端者と、その人を必死で保護しようとする(でもあまりうまくいかず付き従うだけになる)凡人という構図があると、私は簡単に参ってしまうのだなと自分自身に呆れています。こういう執着はどこから来て、私に何をもたらすことになるのか。それはまた別の機会に考えねばならないと思います。

dismal-dusk.hatenablog.com

 

3.ワイスを生み出したスレの仕組みと作者の機転

ジャンルによるとは思いますが、昨今ここまで反社交的で、寄らば斬るを地で行くワイスのようなキャラクターは多く見られるものではない気がします。普通もう少し世のトレンドに寄せてマイルドにすると思います。しかし、ワイスのようなキャラクターが出来上がってしまったことには、やる夫スレ特有の事情があると私は考えています。

やる夫スレの一部、「あんこ」という種類のスレには「ダイス」と呼ばれるランダムな数字を生成する仕組みがあります。ダイスを利用すると、キャラクターの各能力値や設定を出た数字によって決めることができます。また、セリフや人物の抱いた感情、物語の展開をダイスの目によって決めることもできます。

ダイスによって変化する事柄や選択肢は物語の作者が用意しますが、当然ある程度の触れ幅を設定することが多いです。穏便で常識的な選択肢もあれば、過激で非常識な選択肢もあります。ダイスを振っても物語の展開やキャラの背景が大して変わらないのであれば、そもそもダイスを使う意味がないからです。すると、あるキャラクターについてダイスの目が低い/高いに偏ったときには、キャラクターの性質や言動は極端になります。常識的に作っていたら躊躇するほどに。例えばワイスについてダイスの目が多いほうに偏ると、無言で3連続のビンタを食らわせて自分の気持ちを伝えようとする*5とか、友達が1人できただけで母親が(感激で)号泣するとかいう強烈なキャラクターが誕生してしまうわけです。

 

あんこスレでは、作者ですら、キャラクターの造形や言動や内心を制御することが完全にはできません。しかし、「鉄血のオッサム」の作者「iDz5Ipsam2」は、ダイスの目によっては完全に支離滅裂な展開や人物が出来上がりそうなところを、なんとか後付けの理屈を補ってギリギリのバランスで話として成立させてしまっています。そんな作者の機転に私は舌を巻くほかありません*6。iDz5Ipsam2のような人は、私のようなアドリブに弱い人とは違って単純に頭の回転が速いのだと思います。いまだにこのような頭脳が(便所の落書きと言われ続け、もはや過去の遺産となりつつある)匿名掲示板上でフルに回転していることを私は初めて知りました。

世の中に確実に存在するのだろうそのような機転が、どうか良い方向に生かされればいいなと私は願っています。数々の即興で繕われた「鉄血のオッサム」の物語が江永さんをインスパイア(?)したように、iDz5Ipsam2が発揮するような種類の機転は、私たちの日常生活を若干よくすることもできるはずです。たとえば落ち込んだ職場の人を少しリラックスさせることのできる気の利いた掛け合いだとか、少女漫画雑誌でいうとLaLa的なものが大事なのだろうなと思うところです。

 

不快に感じた点

最後に、この物語のまずいというか私が不快に感じた点について述べたいと思います。

第一に、物語の各話でキャラクターの容姿について過剰にコメントしたり評価をつけたりする場面が頻繁にあります。たとえばこの作品のホグワーツでは(日本でいうと小学校の段階にもかかわらず)、ミスコン・ミスターコンというイベントが定期的に行われるようです。

そもそもの話をすると、二次元キャラクターの世界で物語をやるということ自体に、容姿イジりが発生しやすい仕組みがあります。このことは今回のやる夫スレだけでなく、漫画でもアニメでも同じかもしれませんが。AAを使った物語は漫画と似ていて、なにか特徴ある容姿と台詞のディテールがキャラクターの連続性を主に担保しています。したがってその2つの要素こそが会話の中でも取り挙げやすく、強調もされやすいのです。AAとして登場するキャラクターたちは原作における容姿と切り離すことができず、それに言及することで分かりやすくキャラが立ちます。

しかしそれでも、容姿を評価される側が女性キャラクターに偏っているのは現実世界の悪い習慣の取り入れであると思いますので、やめたほうがいいなと感じました。

擁護でもないですが少し補足しておくと、ミスコン・ミスターコンについては、そもそも当のイベントの実施体制に疑問を投げかける演説を弱冠10歳のオッサムが行っていますので、別にその開催を無批判に肯定してお祭り騒ぎするだけの物語ではないです。まあ、彼の演説はキャラ付けの都合感もあり、ミスコン・ミスターコンに対する建設的な批判となっているのかはよく分かりませんが……

 

第二に、作者が設けた選択肢や作者以外の観客の反応*7に、同性愛を茶化すような雰囲気が漂うことがあります。

それ以前に、なんやかや男女キャラクターが揃うと「付き合ってるのか!?」みたいに別キャラクターや作者以外の観客がざわつき出すことが多いので、恋愛伴侶規範が全開です。私はそういうノリもフィクション上に留まるなら許容できるときはありますが、この説明だけでキツイなと思われる方は序盤からも読むのをおすすめしません。

また、真夏の夜のなんとかという、ニコニコ動画発祥なのか何なのかよくわからないネットミームが引用されることが中盤以降にあります。第一章まではほとんど出てきませんが、私も正直よく知らないのにたんに不快な気分はしてくるので、そこだけカットしてほしいと思っています。名前も聞きたくないほど嫌いな人に対しては、もちろん当の作品を読むことを勧めません。

以上のとおり、自信をもって誰にでも勧められる作品ではありません。まあもともとが地下文化みたいなものなので、私や江永さんが紹介するからといって別にこの世の多くの人が読む必要はありません。私は読んで面白かったという話をしました。

 

まだ2章の途中までしか読めていないので、記事の最初で引用したオッサムとヤラナイオ先生との対話にまでたどり着けていません。今回はほとんどワイス周辺とあんこスレの仕組みの話で終わってしまったので、とりあえずキリの良いところまで読んだら、内容について書けるといいなと思っています(記事として公開するかは分かりませんけど)。

*1:掲示板の仕組みにおいて、あるタイトルを持ち、そのタイトルに関する発言ができる場所を「スレッド」と呼びます。「スレ」という名称はここからきています。やる夫というのは、その物語でよく使われるキャラクターの名前です。

*2:途中で判明するワイスの特殊能力によって的確な皮肉等が可能になっているようです。

*3:鉄血のオッサム上ではなく原作のワイス・シュニーが好きな方にはひどい表現ばかりで大変申し訳ありませんが、ここまで私は別に誇張して書いているわけではありません。鉄血のオッサム上では本当にそういうキャラクターになってるのです……
ですが、話が進むにつれてもっと濃い人もたくさん出てくるため、相対的に彼女はまともな人に見えます。ロックハートとかいう教師(原作準拠)とか。本当にヤバいのはJ.K.ローリングの原作なのかもしれません。

*4:ゼロ年代によくいた、立ち絵が設定されているタイプのエロゲの主人公みたいですね。

*5:私はこの場面を読んで、加藤智大の著書『解』のある記述を思い出しました。彼は幼い頃に母親から虐待を受けており、虐待に抗議するとさらに手ひどく暴行されるということを繰り返した結果、他人に言葉でわかってもらおうとすることを諦めてしまった、と語っていました。そのとき以来の「意志を伝えたいときには言葉でなく行動で示そうとする」という性質が、秋葉原のあの事件につながっていたかもしれないと彼は述懐しています。
べつにワイスが虐待を受けていたという描写は作中にありませんが、言葉でのコミュニケーションを信じていない節はありそうです。

*6:ただ、そのように都合よくキャラクターの行動原理を補完してしまうのは、読者である私のほうの性である気もします。私は物語上の単なる描写不足と思われる点についても、勝手にキャラクターの心情を自分に引き付けて理解し、行間を補完することがしばしばあります。特に今回のワイスやオッサムのように、原作の設定など関連情報をまったく知らないキャラクターについてなら猶更です。また、音声もなく動きもせず文章主体で描かれたキャラクターについては、妄想の余地がより広がってしまいやすいです。

*7:やる夫スレというのは掲示板なので、本編が進んでいる間も観客がコメントを投稿することができます。