COMITIA131で購入した本の感想

今回は自分で頒布するほうがメインだったのであまり買えませんでした。

敬称略で失礼します。

 例)『本のタイトル』(発行者)

『春と東風』(果野)

【あらすじ】東風(こち)は高校生、軽音楽部の友人二人とバンドを組んでいる。彼女はラブソングに歌われているような気持ちが実感できず、オリジナル曲の作詞もうまく進まないでいる。作詞にいきづまっているとき、東風は動画サイトである詩の朗読(ポエトリー・リーディング)を聴き、憑かれたように再生を繰り返す。その歌い手「Shun」に会ってみたいという強い気持ちが、彼女の心に湧き上がった。

 

 まず、フィクションやラブソングの中の青春が自分の実感からすごく遠い、「自分にはなんにもない」という鬱屈を持ってる若者は確実に一定数います。そういうものをぶつけた詩が、もしも誰かに秘かに受け入れられたとしたら、どれだけ救われることでしょう。あと、自分にとってすごい重要なものを作ってる作者をちょっとネトスト的に追跡してみるみたいな気分はすごいわかるし、SNS時代だなあと思います。

 作者と作品受容者の交流みたいなもの、自分も非常に憧れあるんですけど、作品は作者という人間の全てじゃないし、実際関わってみたら全然分かり合えもしなかったということはあると思います。ただShunの場合はもう人間として関わることはできないので、そこはどうだっていいのかなと。 東風が〈繋がりとか触れ合うとかどーだっていい 一生恋なんてできなくっていい〉って叫んでくれたのはスカッとしました。どーだっていいんです、その辺は。

 

『神様の心臓』(文野紋)

「ミスiD(アイドルオーディション)に落ち、自己肯定感が満たされない恋愛に不満を持つ主人公が彼氏の変態的行為を目撃して色々拗れたりする漫画です。」(twitter@bnbnfumiya のツイートより)

 

 人生こういうこともある、あったはずだ、そんなことを思いました。小田中さんがどんな人で、どう魅力があるのか私にはわからなかったけれど、それはこの主人公にわかってればいいのだと思います。

世界が狭いことの何が悪いのだろう。
一人の人間に依存しちゃいけない理由ってなんだっけ。(p. 39)

 この2文が非常にわかるなあと思いました。依存先は分散せよみたいなことが最近よく言われますが、異なるコミュニティの様々な他人たちに少しずつ自分を開示していくのは、じっさい非常に高度な情報管理能力が必要になると思います。まず人の名前、自分がその人に何を話し何を話していないか、これまでの関係の経緯や今後の見通し、そういった情報をごっちゃにならないように並行して管理せねばならないからです。誰もがそこまで器用ならいいですが、そうでない人たちはどうすればいいのか? そもそも、そういった管理能力に恵まれた人であったとしても、どうしてそんな労働としか言いようのないことを続けなければならないのでしょう。できるかどうかと、やりたいかどうかは別問題です。嫌々やっているという人もたくさんいるでしょう。

 心臓を分かち合うようにして、自分の全てを受け入れてもらいたい、というより存在として一つになりたい。そういう全一性への欲望は上のような労働を放棄する怠惰でもあると思うのですが、自分にも確かにある怠惰だと思ったのでした。そういう怠惰を小うるさくいびるような「頭がまともな人間様」は、私も嫌いです。

 

『一連』 vol. 1(一連社)

 クロスレビューに少女マンガがあったので買いました。でもその『さよならミニスカート』が評価低くてなるほどと思いました。思想が強い人というのは完全に同意です。私も1話読んだのですがハマらなかったのでよく内容を覚えていません。

 ちなみに牧野あおい作品なら、「REC—君が泣いた日」という短編がいちばん好きです。『かげきしょうじょ!!』は面白そうなのでそのうち読みたいです。

 

 よくいわれることですが、マンガは日本固有のものみたいなのは昨今たいへんアレなので海外のものについても最低限の知識は持とうと思いました。何かのジャンルに属すものを論じるときは、それなりに必要な知識があるので……

 

 田原さんの触手の系譜、たいへん面白く読みました。批評だとこういうのが個人的に好きです。

 

 あとがきに「批評的なものはその力をますます失いつつあり、代わりに商品の健康的効用を謳うあらすじ紹介が幅を利かせている。悲しい時はこのマンガを、寂しい奴はあのマンガを」(p. 78)とあって、まさにそういう本を作ろうとした私は何も言えませんでしたが、その「マンガをサプリメント視する読書観」が軽蔑されたり求められたりする事情は一体なんだろうと思ったりしました。そもそも、マンガ読むことが健康な生活につながると本気で信じてる人なんているんだろうか、ということも思いました。もしかすると私の本作り(特にyesnoチャートなんか)は、その冗談みたいな健康効果をベタに受け取ってしまった仕草であって、喩えるならおままごとのコインをコンビニで使おうとする人みたいな感じだったかもしれませんね……

 マンガ読むだけで諸々が半永久的に大丈夫になったらいいなと私も思いますが、当然そんなことにはなりません。ほんのいっとき慰めになるだけなのです(もちろんその慰めは重要だと私は思いますが)。

 

 さて、明日も社会的に労働と認定されたほうの労働を行います。皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

(2020年2月12日最終更新)