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できるだけ建設的であろうとすること―メシア的構造と決断

 最近こういう態度で生きていて、ジャック・デリダの思想をそういう風に読んでいたら当のデリダにそれを覆されました、というお話です。レポートの再利用なのでいろいろ前提がすっ飛んでいると思いますが、私に補足する気はないので本を見たほうが早いです。

 

メシア的構造について

 デリダが「メシア的構造」と呼ぶのは、現在に予測不可能なものが紛れ込んでいる事態のことである。言い換えると、私たちが望むと望まざるとにかかわらず「来たるべきもの à-venir」に向かって開かれてあることである。

 ただ「予測不可能」とは、予想が当たる確率が極限に低いという意味ではない。「来たるべきもの」は確率的に解消されるものではない不確実性、私たちの制御下に置かれることは決してない無規定性を意味する。

 

できるだけ建設的であろうとすること

 「そのようなメシア的構造の考察は、不確実性とともに建設的に生きることに役立つのか」と問われて、デリダはまずは「いいえ」と答えた。*1それは無規定的であるからには、未来に対して何らか具体的な指針を与えているものではないと考えるほかにない。

 ただし、デリダは次のようにも述べる。

「…… そして建設的に生きるために可能なことは何でもしなければなりません。これは私たちが常にやっていることです、つまり建設的であろうとしているのです。私はできるだけ建設的であろうとしています。ただし、いかなる確実性もなしに、どこかで間違えない保証などなしに、です。」

デリダ脱構築を語る シドニー・セミナーの記録』, p.78.

 「できるだけ建設的」ということはどういうことなのか、できるだけ考えるように試みたが、これには『法の力』の3つのアポリアの箇所を合わせて考えることが効果的だった。私たちは無規定性から逃れることはできないが、倫理的・政治的に生きるならば決断を躊躇するにとどまるのではなく、やはり決断をする。

決断不可能なものによって宙づりにされる瞬間はどうかというと、そのときにも決断は正義にかなっていない。なぜなら決断のみが正義にかなっているからである。

『法の力』, pp.59-60.

メシア的構造を生きる人(つまりすべての人)の決断とは「規則に従うと同時にそれを逃れる」*2ような決断でなくてはならないだろう。そんなことを言えるための論理としては「現在という瞬間は根源的に分割されている」「けっして現在でなかった過去」と「けっして現実にはならないであろう未来」が、現在に入り込んでいる」*3という、デリダの現在についての考えが控えているように思われる。決断の瞬間も現在ではないものに分割されているように、決断が基づく既知の規則も、異なりつつ繰り返される解釈によって複数化されうる。

 また、「来たるべきものà-venir」が確率的な不確実性ではないように、それに目をつぶらない決断とは知識の多寡や熟考する能力の問題ではない。

時間と慎重に構える力、知識獲得のための忍耐力と様々な条件を掌握する力とが際限なく備わっていると仮定しても、決断というものは構造上、有限であるだろう。それは、たとえ到着するのがどんなに遅れようとも、構造上は有限である。すなわちそれは、切迫されせき立てられたうえに、無知と無規則という闇の中を進まねばならない決断である。

『法の力』p.68.

ここから考えると、例えば満員電車に乗っているとき、隣で痴漢にあっているらしい人がいた場合に「証拠が十分じゃない」「考えているうちに降りる時間になってしまう」と考えて告発せずにいることは、決断ではない、少なくとも正義にかなった決断ではないのかもしれない。それは計算可能性に執着するあまり、「来たるべきもの」を前にしてたじろぐ態度になっている。コンピューターは止められないかぎり計算し続けることができるが、そこから先に進むことができない。矛盾する複数の命令をコンピューターに与えると、エラーを避けるため永遠にプログラムをループして処理し続け、結局は電源が切れることになるだろう。そのループの途中で電源が切れたことを決断とは呼ばない。もし先ほどの人があれこれ思案しているうちに満員電車を降りる時間になってしまったなら、彼はこのようなコンピューターになろうとしていたのである。*4

 その態度は「できるだけ建設的」であろうとすることではなく、デリダはそういう態度を認めたいわけではない。デリダは無規定的なものの前で途方に暮れ続けることを勧めているわけでも、ひたすら思弁的であって無為であることを説いているわけでもない。

アポリアはネガティヴなものではなく、つまり私たちを事実上、立ち往生させてしまうものではなく、むしろ逆に試練や試金石であり、たとえ行き詰まってもそれを通過して行かなければならない、ある決定的な契機なのであって、決定を行なう、責任をとる、未来をもつなどのためには、私たちはこのアポリアの契機を経験しなければならないのです。(強調は引用者による)

デリダ脱構築を語る シドニー・セミナーの記録』, p.70

 

 デリダの理解において、自分自身は「アポリアの経験」に重点を置きすぎていたかもしれない。また、「不確実性に対して執拗に計算的であらねばならない」と読んでいたかもしれない。デリダが「建設的であろうとする」と述べたことはそういう意味ではなかった。その部分は、『法の力』を読むことである程度修正できたのではないかと思う。

 

――

 「計算可能性への執着」は、この記事でも触れていたけれど自分の思考の癖のようなもので、いつの間にかハマっていてなかなか脱しがたいものかもしれないのです。決断しようね、と思いました。

dismal-dusk.hatenablog.com

 

デリダ、脱構築を語る シドニー・セミナーの記録

デリダ、脱構築を語る シドニー・セミナーの記録

 
法の力 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

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*1:デリダ脱構築を語る シドニー・セミナーの記録』, p.78.

*2:http://d.hatena.ne.jp/parergon/20160426/1461631952

*3:同上

*4:しかし、彼はその場で決断することはなかったが、いつかその決断はやってくるかもしれないと想定することはできる。彼にはこの苦悩の残滓が、何らかの亡霊がとり憑く。それはまたいつかの満員電車の中で回帰し、決断の引き金になるかもしれない。

『メイド諸君!』を読んで―ご主人様の憂鬱とメイドの献身

 先日『メイド諸君!』を読んでから、得体の知れない気持ちの悪さが亡霊のように回帰し胸の辺りに渦巻いています。思いの外、私はこの作品に打ちのめされた(?)ようでした。そのように、ああ面白かった、で済ませることのできない読書というのがたまにあり、物語に限れば太宰の人間失格以来かもしれないな、と思ったのでした。

メイド諸君!  【新装版】 上巻 (ガムコミックスプラス)

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  そういう気持ち悪さをどうにかしたいというところから書いているので、今回は(も)ゲロを吐き散らかすような文章となっています。しかも無駄に長いです。ご承知おきの程よろしくお願いします。

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古代ギリシア美術の鑑賞チートシート

 古代ギリシア展いつからだっけなあと思っていたらもう明日ですね。期間中に2回くらい行けたらいいなと思っています。

 

 今回は大急ぎで、いつかの講義のテスト用に作ったチートシートをここにまとめます。何が何だかわかりにくい陶器画などの鑑賞のお供にしてください。

 

動作・事物

手でベールをつまむ
うつむき加減になる
女性の慎み深さ
ベールを取って顔を見せる ①女性(の美しさ)
②結婚の場面
手のひらを上にして
相手に向ける
命乞い
シュロの木 トロイアの地である
祭壇に願う 神の名にかけての願い
(その願いは必ず聞かないといけない)
女性の武器(家にあるから)
口元に手 疑い
不安
琴を持ってる男 柔弱な奴(→パリス
円筒形の帽子 女神
両刃の斧 神聖のシンボル
天に向かって
手を差し出す
神への祈り
寝っ転がって食事 ふつうの食事風景
ヒゲ描いてない男 若い男
犠牲のシンボル
鹿 聖獣
翼がある 神(ニケ等)
上を向いて
口を大きく開ける
陶酔し歌う
軍装し、
足を露出している女性
アマゾン族

 

アトリビュート

(特定の人・神の目印となる持ち物)

ライオンの皮
棍棒
ヘラクレス
旅行用の帽子 ヘルメス
月桂冠
アポロン
軍装+ロングスカート(?)
アイギスの盾(ゴルゴンの首)
アテナ

キヅタ
ブドウ
ロバに乗る
サテュロスマイナデスを伴う
ディオニュソス

 

 以上です。講義で言われたことをそのまま書き写しただけなので合ってる保証はできません。例外とかいくらでもあると思うので目安ですね。

 こういう受験勉強みたいな機械的なのは芸術鑑賞の冒涜と言われるかもしれませんが、知ったことではありません。鑑賞の場面で、何の前情報に頼らずとも作品だけをじっと見ていれば、素晴らしいインスピレーションが降りてきて想像がどこまでも広がるみたいな夢は正直あまり信じられません(私の貧困な感性ゆえに)。必要な人は必要ですし、そうでない人はそうでない。文化資本とは何ですか? 後で勉強します。

 

親鸞の生涯と思想

ある講義のノート再利用。

 

親鸞の生涯

 親鸞は、承安3(1173)年に京都日野の里に生まれた。9歳のとき青蓮院の慈円のもとに得度するが、これは当時源氏と組んでいた以仁王親鸞の家系が関係していたため、平氏の追求を逃れるという目的があったと推測される。以後20年間天台教団の中で修行を続けるが、己の罪業意識に悩み続ける。夢告に導かれて、法然の教えに目覚めて彼の弟子になった。
 法然の専修念仏の教えは、弥陀以外の諸仏を軽んじている、持戒を軽視しているとして旧仏教側から危険視されていた。そんな中、建永元(1206)年、法然門下の安楽、住蓮という僧が法会で女官と通じるというスキャンダルを起こす。後鳥羽上皇は、2人の僧を斬罪に処し、法然とその門下を流罪・死罪とした(「建永の法難」)。法然親鸞もそれぞれ配流となる。越後に流された親鸞は、法然に帰依していた九条兼実の家が持つ荘園の荘官を務めていた三善家に保護される。親鸞は、この家に縁のあった恵信尼と結婚する。この時、彼は僧籍を剥奪されており、以後、終生「非僧非俗」という立場をとることになった。
 法然親鸞の罪は建暦元(1211)年に赦免されるが、親鸞は京都へは戻らず、しばらくして関東の常陸国笠間郡稲田郷に草庵を構えて布教活動を始めた。この地を親鸞が選んだのは、、この近隣に三善家の所領があり越後からの開拓民が多く来ていたと考えられるのが1つ、鹿島神宮一切経を閲覧するためかと考えられる。一切経を参照しながら、親鸞は『教行信証』の執筆も進めた。
 親鸞は、20年余りを稲田郷で過ごすが、63歳のとき妻子を伴って京都に帰った。知人の寺に寄宿して暮らすが、恵信尼はしばらくして越後に帰ってしまう。
 晩年、親鸞の教えは関東の門徒たちの間で誤解され、悪人こそが往生するなら悪行を働いても構わないと考える者たちが多数現れた。親鸞は息男の善鸞を関東に派遣し、異説・異議を斥けようとした。しかし実際、善鸞親鸞の教えと全く真逆の教えを広めており、親鸞は建長8(1256)年、84歳のとき、善鸞に義絶を告げた。最晩年には和讃なども作りながら、弘長2年11月28日、寄宿先の善法院で生涯を終えた。

親鸞の思想

悪人正機説

 親鸞の思想としてよく知られるのは、「悪人なほもつて往生を遂ぐ。いはんや、悪人をや」という言葉で表される、「悪人正機説」である。しかし、この言葉は、法然の『法然上人伝記』や、浄土宗の排斥にかんでいた法相宗の貞慶も、悪人こそ救われるという思想は見られている。悪人正機説親鸞の独創ではなく、当時の仏教全体の通念だったようである。むしろ親鸞の独創性は、『歎異抄』第三条で、善人は弥陀の本願の対象ではないと述べていることにある。善人の往生を否定する言説は類を見ない。

悪人とは誰か?

 善人は救われず、悪人だけが救われるという主張は、一見、倫理的に破綻した「破戒の論理」であるように思われる。親鸞が単純にこのような主張をしたとは考えられず、この破戒の論理には様々な解釈が為されてきた。中にはこれは親鸞の主張ではないとする解釈もあるが、それはありそうにないものである。問題は、むしろ「悪人」とあるが、どのような意味の悪なのかということである。

存在にまつわる悪

 この悪とは、自分が単に存在し続けているだけで、人間も含め他の生き物の命と居場所を奪い取ってしまっているということの悪さ、存在にまつわる悪である。インドの如来蔵思想(すべての動物が物性を持つ)は、日本で物活論的な霊魂観と融合し、すべての生命に物性が宿るという思想になっていた。親鸞もこの思想を持っていたことが推測される。すると、食事をするだけでも、他の多くの生き物の仏性を奪うことになる。特に仏教徒でなくとも、何の罪もない他人の職を奪うという排除の構造に私たちはいるのであり、かりに社会で排除されるのみの人間であっても、食事をするだけで他の生命を殺しているので悪である。
 つまり、人間は生きている限り、例外なくこの意味で「悪人」であり、善人など実際は存在していないのだ。すると、先の、往生できないはずの善人とは誰かというと、その逃れようのない悪を抱えていることを自覚しておらず、自分が悪人だとは思いもしない者のことであると考えられる。これに対して、悪人は、この悪を自覚し慚愧している者である。後者が往生できるのは当然のことである。

信心の困難と救い

 ただ生きているだけでも悪人ではあるが、そのほかの悪行ももちろん考えられる。しかし、この悪は人間が意図的に回避できるというようには、親鸞は考えていない。人間の力を超えた運命、宿業しだいでは、つい千人でも人を殺してしまうことがありうる。人間は、為すべきことをなしえないという意味で無力であり、救済を信じて祈ることすら貫徹できない存在である。この信心すら、阿弥陀仏によって与えられるものであると親鸞は主張する。
 信心は、しかるべき時、つまり自分が悪をできるだけ回避しようと頑張っても限界を感じ「わかっちゃいるけどやめられない」ことを実感した瞬間に与えられるだろう。そこで、心から阿弥陀仏の存在を信じることが、救いへの唯一の道なのである。

 

高校時代の自虐論まとめ 補足

  前回の記事について、いつも読んでくれている方から何点か指摘をもらったので補足します。

dismal-dusk.hatenablog.com

 

・自虐と自己批判とはどう違うのか。

 自己批判は多くの場合、自分の間違いを修正しよりよい方向に変わろう、少なくとも間違いを避けようというときに行われます。
 自虐も自己批判の一種かもしれませんが、必ずしも何か変わろうという態度は伴いません。自分の欠点に関して分析を行うことにはなりますが、改善するかは別問題となります。分析し公開したことで自己像を確かめ、むしろそこに安住してしまうことのほうが多そうです(「自傷的自己愛としての自虐」参照)。

 

自虐と単なる言い訳は違う?

 上のような態度で行われている自虐は、行動しないための言い訳であると言うことができます。自分の欠点はわかっているが、変えられない……そしてそれが自分の欠点でもあり……と無限に自虐をループさせることが可能で、そのようなことを実際にやっていたようでした。(「わかっているのに変えられないというのは、本当に分かってはいないのだ」というテーゼを持ち出せば話は違いますけども。こうした言い分を知りたい人はプラトンプロタゴラス』等を読んでください。というかそれしか文献知らないので、もっと明快な解説書とかあったら誰か教えてください)

 

・苦しみや悩みを語る行為も自虐に含まれる?

 含まれます。ただ、その中に自分についての言及が少しでも入っていることが必要だと高校時代の私は主張していたようです。

 例えば、単に「人付き合いが嫌」というのではなく、「人付き合いをすると『私の性質により』嫌な思いをする」と書くのが自虐です。苦しみや悩みの原因が自分にあるとする。

 

・他者をコントロールすることはできなかったとしても、他者に対する不平不満を陰口として言うことはできる。そうしなかったのはなぜ?

 誰か特定の人が気に食わないとか、そういう心境ではあまりなかったのかもしれないと思います。自分以外は有象無象という感じで。しかも、その有象無象は千里眼的な権能を持っており私の発言の全てを監視していました。有象無象とは、「学校の友人」だとか「家族」だとか、なにかしら属性でくくることのできない、場所を選ばない全てのひとびとなのです。したがって私が自由に振る舞える領域はTwitter上にもありませんでした。リアルの友人が見ていなかろうと鍵がかかっていようと、自分以外の陰口を叩いただけでも自分になんらかの災いが降りかかるという強迫観念に近いものがあったと思います。

 あとは、たぶん自分が悪いとしてしまったほうが楽だからです。不平不満の原因を自分以外に帰すと、自分以外のものを観察しなければならなくなりますが、他人とあまり話さない場合そうした観察も進まないので。

 

 元がごちゃごちゃと連続ツイートしていただけなので分かりやすくまとめることに困難もありますが、質問に答える形だと自分の中でも整理がつきました。質問をもらえるのはありがたいことです。

 しかし、前回からやってきた過去に感じ考えていたことの再構成というのは失敗せざるを得ないなというのは最近思うことで、これについてはまた後ほど書きたいと思います。