遺言としての自己表現―ある人のnoteについて

経緯

 今回は作品紹介の記事とは言えないかもしれません。

 数日前、ブラウザのお気に入りを整理していたらあるサイトに行き当たりました。そしてそのページを管理している方のnote(ブログのようなものです)を何とはなしに読み、衝撃を受けたのです。これは真剣に読むべきテクストだと確信し、だからこの記事を書いています。

 ただしこのように日記に近い文章というのは取扱いに注意が必要であるような気もしています。日記はその筆者との結びつきがフィクションよりもおそらく強い。そんなテクストに対して、いつものような自分勝手な濫用が果たして許されるのでしょうか。文芸作品として日記を読み解くことは可能なのでしょうか、また可能であったとして、それは正しいことでしょうか。筆者に頼んでもいないカウンセリングを仕掛け、ひとりの人間を言葉をもって打ち据えることになりはしないでしょうか。私としてできるのは、作品をあくまで作品として読むこと、氏のnoteに言及する以外に氏とは関わりを持たないことくらいです。インターネット上の人間関係は、連絡掲示板のように、断続的に間接的にするのが最も望ましく美しいと信じる私としては、そうした消極的な策しか思いつくことができませんでした。つまり、いつもの文体と読み方を変えるつもりはあまりないということです。

 さて、様々な話題が高密度で圧縮されている氏のnoteの全貌を語ることは、到底一人の力では無理なのはわかりきっています。したがって今回は、主に二つの記事に焦点を絞っています。

 

出来事

 氏は「Mona」「庚の字」等の名義でゲーム制作ほか多様な創作活動をされてきた方なのですが、あるときネット上の創作のコミュニティの第一線から退き、本名でtwitterを始めたといいます。曰く「たまたまゲーム作る趣味がある人間が本名名義で愚痴や日常、思うこと考えることを呟く場」として。

 ところが、その本名名義のほうで趣味の一つとして呟いたゲームの情報が、「庚の字」名義のものであると同定され、氏のアカウントには「以前庚の字として繋がっていた方々のフォロー通知やリプライ、リツイート」が送られたということが起こりました。

名義も違う、呟きの内容も違う、アイコンも違う。
けれど、リツイートされた画像を見て「庚の字さんだ」と気づいてくれたらしい。実は昨年末、一昨年末にも似たようなことがあり、しばらく離れていた方々と再会するような流れになったことがあるのだが、

庚の字(Mona)という存在が消えてもちゃんと生き続けていること。
わたしの作品を見てわたしだと認識してくれる人がいること。

素直に嬉しかった。

「名義の話」

  この出来事の意味は2つあります。第一に、作品とは偽造可能でなければならないということ。そして第二に、作品とはその作者が生きているうちから遺言であるということです。

 

作品の偽造可能性

 第一のほうから考えていきます。先の出来事は、なんらか同じ徴をもつ作品(の画像)が、違う名前のもとで(全く違う状況で)同定されたということです。すると、もしもの話ですが、私がものすごい時間と血の滲むような努力をして氏の作品を模倣し、その画像をネットに上げていたら、万に一つ、私のもとで氏が「庚の字」名義で残した作品とその模倣作品がなんらか同じだとみなされることもありえたのではないでしょうか。あるいはどこか別の国の創作ネットコミュニティで、氏の作品を転載しこれは自分の作品だとホラを吹いて回るような輩の出現も、ありえたのではないでしょうか。

 作品が結び付けられる名義とは、それがどんなサイトで発表されるか、どんな時代に、どんな状況(ネット上、イベント会場)で発表されるかといったことと同様に、作品を取り巻く文脈の一つでしかないのだと、氏は気づいているように思えます。

「庚の字」とは、わたしがインターネット上で創作活動をするにあたって名乗っている名義で、pixiv繋がりはもちろん、ツクール界隈、そして制作を通じて知り合ったボイスコーポレーターの方々にはこの名前で通してきた。

もっとも、古いpixiv繋がりの知人たちにとってはわたしは「Mona」という昔のハンドルネームのイメージがいまだ抜けないそうなのだけど、「あなたにとってわたしがわたしだと認識できる方の名前で呼んでくれて構わない」というスタンスでやってきた。

「名義の話」

 他に具体的な事例を語るなら、田中ロミオというゲームのシナリオライター(現在は作家・原作者)を思い起こしてもいいかもしれません。彼はかつて、山田一(やまだ はじめ)という名義で活動していました。「田中ロミオ」の登場時、業界には「「田中ロミオ=山田一」説」、「山田一とは現田中ロミオを含む幾人かの合同名義であるという説」が持ち上がったそうです(Wikipediaを参照)。やがて公式や関係者の宣言によって、田中ロミオ=山田一という事実が確定されましたが、もしその宣言がなかったらと考えると、実際は一人の人間が全く別の創作者として認識されていたということもあり得たわけです。このわたし、一人しかいないはずのわたしが作品に刻み込む署名とは、ある意味ではおまけのようなものなのです*1

 そもそも作品は、それを取り巻く状況や作者の名義すら全く変わってしまったとしても、「なんらか同じである」と見なされることがなければ意味を持ちえない(作品として成立しない)ものです。例えば私の書いた一枚の漫画があるとしましょう、それは最初は私のブログで発表され読まれるでしょうが、パクツイアカウントによって転載(あるいは改変)されたからといって、全く別の画像になってしまうことはありません。誰の下で読まれるかという状況が変わってしまったら読めなくなる、同じものかどうかすらわからなくなる、それではそもそも一つの作品として理解されえないのです。誰の下であっても関係なく「なんらか同じだ」と見なせること、それが作品の成立条件なのです。

 この、どんな名義であっても関係なく、つまり作者が姿を消しても、作品は作品として機能するという条件によって、作品はすべて遺言として価値をもつことになるのです。ここまで言っておいてなんですが、以上の記述はすべて次の話のパクリです。

「私は生きている」というパロールは、私がその場に不在であったり、私が死んでいたとしても理解可能であるのでなければ、私が現前していたり、私が生きているときにも理解可能にはならない。「私は生きている」という言表の意味は、そのうえ私が生きているのか死んでいるのかという事実とは全く無関係である。(略)したがって、「私は生きている」と言うためには、「私の死が構造的に必要である」。全ての言表は構造的に「遺言的価値」(valeur testamentaire)をもつ、と言ってもよい。

髙橋哲哉『デリダ』 p. 157


遺言と亡霊

 先の出来事では「庚の字」という名義、ひとつの文脈が失われたとしても、「庚の字」の代名詞である作品は別の名義の下で反復され、機能することができました。氏はそのことを「素直に嬉しかった」としていました(先の引用を参照)。しかし同時に、氏は「なんとも言えないもやもやした感情」が湧いたというのです。

先日の note[ 楽しみとは何なのか ] において

草間彌生の「わたしが死んでも作品は遺る」という言葉が好きなので、たまたま生きているのであれば何かしらを作ってから死にたいなあとおもう

と書いた。

その「何かしら」というのは、わたしの創作作品のことであり、制作しているゲーム、アニメーション、イラストを指す。

これらは「庚の字」もしくは「Mona」の名前で「わたし」の作品として認識されてきたものだ。庚の字もMonaも「わたし」であることに変わりはない。

けれど時折、「わたしがいくらそう考えていたのだとして、仮にわたしが死んだ時、世間に残るのは「庚の字」であり、庚の字のやったことは庚の字の記憶としてしか世に残らないのではないか」という、なんとも言えないもやもやした感情が湧いた。

「名義の話」

 「庚の字」という存在は氏にとって、たとえ活動しなくなっても勝手に死ぬことはなく、自分の作品に取り憑き、作品の唯一性を証するとともに「わたし」の唯一性を脅かす亡霊のようでもあったのです。「庚の字という存在は消えた」にもかかわらず、「庚の字」は今ここに生きる「わたし」の及びもつかないところで反復され、独り歩きし始めている。氏はもともと「わたし」が生きた証として作品を遺したかった*2はずなのに、わたしである*3がもはやわたしではない何者かが、今ここに生きる「わたし」を置き去りにして、遺産たる作品を盗み取り、せっせと配布しながら練り歩いている(まるで、今ここに生きる「わたし」がすでに死んでしまっているかのように)。その奇妙な事態への違和を、氏は見過ごさなかったのです。

 

屍あるいは生き残りとしての生

 氏の文章が非常に示唆に富んでいる点は、こうした遺言的な構造と日常の気分とを整合的に語っていることです。氏は記事「「楽しみ」とはなんなのか」において、「生きていることが普通で、当たり前だと考えている人にとっては、わたしの考え方は死んだ人間も同然でつまらない人間に映るのだろうなとおもう」と述べていました。

 本当のことだと思うのではっきり言いますが、何ごとかを語る者、「自己表現」に躍起になるすべての者は、その表現したものという自分自身の亡霊に身を蝕まれているのです。その表現したものの内容がどれだけ生き生きとして明るいものであろうと、それは構造的に遺言であり、その作者というのはすでに屍であるかのようにして生きているのです。

 この、「死んだ人間も同然」の精神、前もって自分自身の喪に服することがなければ、「生きた証」としての作品を遺すどころか、あらゆる表現をすることが不可能になるのです。自分自身が主体となって何かを作ろうとすることができるということは、つまり「自分そのもの」があらかじめ分割されているという事態に他ならないということです。

 私たちは自己表現するとき、それに先立って死を抱え込み、自分自身の喪に服しています。一体なぜ、そんなことが続かなければならないのでしょうか? そんなことをして何の甲斐があるのでしょうか? その答えは分かりませんが、ひたすら創作活動に打ち込む人の衝迫はたぶん、生き残りが「生きねばならない」と感じる責任に似ています。氏が「庚の字」の後、「わたし=ながしま(長島)という人間」として文章を綴るようになったことも、「庚の字」の生き残りとして、その遺産を相続することであるように私には思えるのです。

 そして今回私は、この場にはもういなくなってしまった、そして一度も生き生きと私の前に現れたこともない「わたし」の遺言を私(=夕)のもとで勝手に引用し、読んだのです。今回のこの記事は、その遺言にできる限り忠実であろうとする遺産相続の手続きのつもりです。私もまた「生き残り」として生きています。

 

 しばし私の話をしますが、私が学生時代に小説を書いていたのも、死んでしまった自分の骨を拾い集めるような行動だったように思います(このような回顧もまたそうなのですが)。まさにその時その場所では何が苦しいのかよく分かりもしないまま苦しみ、その混乱の「生き残り」が、散らばった骨を後から拾い集め、生前一度も聞かれることがなかった「私そのもの」の遺言を受け取るのです。受け取らなければならないと思いました。私が高校時代に書いた小説は、私にとっては今でも自分自身の遺言としての価値を保っています。

 最近は何かというとすぐ黒歴史といい、思春期の遺産を茶化して終わらせる成人がいるのですが、私は自分の書いた小説も、過去のこっ恥ずかしい文章も、全部を焼き捨てて顧みないようにしようと思ったことはありません。鬱屈していた頃の自分を肯定するでも否定するでもなく、そもそもいなかったことにしてばかりいる人が、かつての自分のような子どもの苦悩を忘れ去り追い詰める側に回るのだと思います。

 私はそのような人とは違うぞとほぼ意地になって遺産相続をし続け、現在は創作物の感想という形で、私怨を織り交ぜつつこのブログで自分語りをしてきました。そして今回、遺言としての創作物について語っている記事を偶然見つけ、私の言いたかったことをより有機的に語ってくれたように思えて、私は途方もなく嬉しかったのです(氏がそんなつもりで記事を書いていない、というのだったら気持ち悪いだけだと思いますが)。準備途中だった漫画感想の記事を保留し、急きょ今回の記事を書いたのはそういうわけです。

 

氏のnoteへのリンクについて

 このように氏のnoteに言及し結果的に紹介する形になってしまうことについて、ためらいがなかったわけではありません。私としては、自分のブログを単に見られることは構わないのですが(そうでなかったら公開しないでしょう)、見ているとされる不特定多数の中の人間から「見ているよ」ということを私がはっきりわかる形で表示してほしくはないのです。どこか恐く、居心地の悪さを感じるので。

 誰もが私のように思うとは限らないのですが、私が下手にギャラリーを気取っているのを知ることによって、氏がnoteを書くのを、あるいは公開するのをやめてしまうことを私は恐れました。なので未だ継続しているこの作品を本当はあまり紹介はしたくはなかったのです。しかしながら、私のブログに行きつくような人には、私のブログを冗長な前座として、あるいは私がこれから注釈すべき原典として、どうしても氏のnoteを読んでいただきたかった。そしてそれを真剣に読むことによって、ネット上でか別の場所でかは関係なく、この作品を自分なりに解剖(=deconstruct)し、尊敬し、讃えてもらいたい*4。ここにはジレンマがあるのですが、最終的に私が下した決定はこの記事のときと同じだったのです。

 言える時に言うことが肝心です。インターネットの世界は思いのほか儚いのです。登録者自身によるサービスの退会・非公開化。サービス自体の終了。レンタルドメイン失効と404。永遠の更新停止。待ったなしの責任に今すぐこの場で応えていくこと、それが今回の暴力です。

 というわけで、ここに氏のサイトへのリンクを置いておきます。このように末尾であれば、氏の記事に本当に興味があり、氏に迷惑をかけるつもりがない人しかリンク先には飛ばないことでしょう。

 

*1:この頼りなさを支えようとする努力が、作家の意識的な独創性の追求、技巧の複雑化、オリジナリティへの狂信的な傾向として現れることもあるのかもしれません。

*2:> なぜわたしは作品を遺したいのか。

>「生きた証」というとなんだか大層なものに聞こえるが、もう会えなくなってしまった人、遠い存在になってしまった人、会いたいけれど会う勇気がない人。連絡先もわからない人。そんな人達に、「あんな奴いたな」と思い出してもらえるような何かを遺せるんじゃないか。もしもわたしが頑張って結果を遺して、どこかで名前が届いたら忘れていても思い出してもらえるんじゃないか。

>「有名になりたい」とは少し違うのだが、とにかく、いつか誰かにわたしだとわかってもらえる何かが届くようなことをしたい。昔からずっとそんなことを考えてきた。

「名義の話」より

*3:「庚の字もわたしであることは否定しない」と氏は述べます。

*4:ここまで読んでいる方には余計な但し書きでしょうが、私がここで言いたいのは氏の作品を全肯定してほしいとか共感の声を上げるべきだということではありません。

『タビと道づれ』総論―ヤンキー的リアリズムとタビの旅(仮)

 とりあえず、無理にでも今回は話をまとめていこうと思います。どんな切り口にすればよいのかかなり迷ったのですが、最終的には、斎藤環『世界が土曜の夜の夢なら』(以下『土曜の夜』)の「ヤンキー的美学」の記述を手掛かりに進めていこうと思いました。

 『タビと道づれ』という作品は、明らかにヤンキーと見える人物を登場させてはいないものの、斎藤のいうヤンキー的な美意識を全面的に取り入れています。ただ、その美学で語ろうとするとどうしてもうまくいかない部分もありました。それはこの作品が、ヤンキー的な美意識を完璧に体現するばかりではなく、それを突き放して眺めるような視座すら提供しているのだと考えることにします(後述)。

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