『自殺の歴史社会学:「意志」のゆくえ』について

 私は社会学の考え方をきちんと正当な手続きをもって学んだことはなく、社会学の古典をじっくり読んだこともほとんどない。社会学全般に関して門外漢といっても差し支えない人間だと思う。しかるに今回取り上げるのは社会学のちゃんとした本である。 

自殺の歴史社会学: 「意志」のゆくえ

自殺の歴史社会学: 「意志」のゆくえ

 

  前回の記事を書き、私が自殺について考えるとあまりに内面的で個人的なものになってしまいすぎるのも確かだと感じた。少しそういった視点から離れて自分の歩く予定の場所の測量を行いたく思った。今回読む本はそのためにとても有用である。

 社会学の一学説に対し、自説をもって批判できるほどの素養は私にはないので、書かれていることの中から自分が今まで注意することがなかった点を確認し、それを目安にして現在地を確認することに重点を置く。この本は自殺に対する諸々の見解からなるべく等距離でいようという姿勢*1が見られるので、その姿勢をフォローするだけでもそれらの状況を整理することには資するはずだ。まずは序章の記述を中心に見ていくことにする。

自殺の意志の歴史性

 自殺は当事者の意志によって行われるという常識があるが、この本の分析によれば、その常識は日本では20世紀の前半に初めて定着したといえる(pp.11-12)。19世紀末以降に自殺統計が整備され警察による自殺の記録が始まるが、この当初は自殺を「意志」と結びつける見方はあくまで希薄だったという。自殺についての解釈枠組みは大きく転換したのだ。19世紀末の自殺をもたらすのは病苦・貧困・超常現象など、人々を襲う避けがたい不幸だと想定されていたが、20世紀の前半に登場した「厭世自殺」以降、人間の内部から沸き起こる動機により自由意志で死を選ぶというのが自殺の主要な原因として考えられるようになった。

 ここで筆者が確認するのは次のようなことだ。すなわち「歴史的に見れば、自殺と意志を結び付ける私たちの「常識」が「自然」なものとばかりはいえない」*2ということであり、「内在的な「意志」のあるなし(だけ)を基準として自殺を判断することは、二十世紀前半に始まった歴史的現象であり、私たちは二十世紀になって初めて、意志によって死ぬ(と自分や他者に理解させる)ことができるようになったさえいえる」*3ということだ。

 

 ここまでは特に意外なことはない。私は前回の記事で、「死のうという意志」が自殺の条件であるような書き方をし、「真っ先に、大した情報もなしに、「その人は自分で死を望んだ」と思ってしまった」と書いたが、同時に、「死のうという意志」というもののみに依拠して自殺を語るのは何かごまかし*4があるのではないかという疑念も抱いていた。歴史的に見ても、「その人は自分で死を選んだ」というのは自殺についてのありうる解釈の一つにすぎなかった。今後これを過小にも過大にも評価しないことが必要だろうと思う。

  ただ、本書13ページにもあるように、著者はこの意志と自殺のかかわりの歴史性のみを強調して終わるということを望んでいない。この常識が現在どのような局面を迎えているかにも注目している。

意志の解体から自殺の意味化・資源化へ

 著者によれば、近年、法廷や政治の領域では、自殺を個人の意志に基づくものではないとする見解がむしろ強まっている。つまり自殺はうつ病、貧困、過重労働による「追い込まれた死」として解釈される。政府の諸々の自殺対策もこの前提のもとに行われている。なぜなら、自殺が全く個人の意志に基づくとすれば社会努力で直接に自殺が減る見込みなどないはずだが、自殺が「追いこまれた死」であるなら社会の努力で防止も可能だということになるからだ。

 また、うつについての語りが一般化したこともあり、自殺の責任を企業、学校にある程度割り振る法的論理が専門家たちによって確立されてきている。

 

 前回、私がケイ・ジャミソンの『生きるための自殺学』(原題:Night Falls Fast: Understanding Suicide)から引用した部分には、自殺とうつ病との関連が十分に周知されない事態があるというジャミソンの認識が記されていた(p.460)。しかし、現代日本では状況は変わっていると考えたほうがいいだろう。そもそもあの書籍は1999年にアメリカで出版されたものであり、ジャミソンの見ていたのはそれ以前の光景だと思われる。それはもう20年近く前のものであり、現状とはずれが生じ始めているようだと心に留めておこう。葬儀では当然うつ病などについて触れられないとしても、うつ病と自殺の関連についてそれとなく聞いている人は多いのかもしれない。もちろん聞き込み調査などしたわけではないから、実際のところはわからないが。

 

 序章の議論に戻ろう。デュルケームの『自殺論』以来、自殺には様々な「意味」が読み取られてきたが、特に最近は自殺は社会的な問題を示すものだとされる傾向が強いという。その問題とは例えば地域社会や家族の解体、または過剰労働やいじめなどである。

 そして、起こった自殺に対して事後的に意味を読み取るだけでなく、自殺をより積極的に利用するような社会の傾向が現れている。これを著者は自殺の「資源化」と呼ぶ。自殺が行われた際の保険金にも関心が払われるようになったことや、従業員が自殺した場合に(被雇用者の精神的・肉体的健康に配慮していなかったとして)企業に賠償金が求められる等である。また政治の領域では、自殺は超党派的な注目を集める政治的問題であるとされる。自殺予防の必要性は反論し難いものであり、自殺予防を目標に多くの計画の策定・施策の実行が求められることとなる。自殺は様々な社会的領域で膨大な金銭を動かしたり、人々の非難を集めたりするような力をもつゆえに、慎重に取り扱わなければならない対象になっているのである。

 

 ここまでの議論の流れは私が読み取った大勢に過ぎず、序章においてさえ著者は「現実は、直線的に進んでいるわけではない」としていくつかの指摘を加えている。それも「自殺が「意志」と関わり、複雑な社会的また歴史的な奥行きをもつことを具体的に明らかにしていくことが大切」(p.21)であるという考えからだろう。政府(警察)・報道機関・医学界など、異なった社会領域から見た事情の違いを常に忘れない筆者の分析の姿勢は本当に仔細なもので、それを要約しようとすれば莫大な労力が必要になる。とても私が片手間にやるようなことではない。

 以下は序章より先の内容も含まれるが、議論の道筋は追うことはせず、自分が関心を持った部分だけ触れるに留める。

「意志」は完全に解体されたわけではない

 自殺と「意志」の関わりがなるべく小さく見積もられるようになり、自殺の「自己責任」が解除されてきた一方で、自殺に関わる意志を完全に無意味なものとすることは、なお望まれていないと筆者は述べる。考えられるその理由については、序章では2つ挙げられている。

 一つは司法制度が「意志」に基づく論理を放棄していないからである、というものだ。「法廷は「人は意志的に死ぬ」(から自殺の責任は本人にある)」という近代社会の常識をいまなお正面から否定しきれてはいない」(p.20)。たしかにこれは当然のことだ。意志がないとされる人には犯罪行為の責任をとらせることができない、言い換えると、犯罪行為の責任がある者には意志のはたらきが想定される必要がある。正直、近代哲学の基礎について復習しなければなんのことやらさっぱりわからない理屈なのだが、これについてはまた別の機会に詳細に検討しよう。

 二つ目は、「意志」は自殺予防の施策を実施する上での方便としてひそかに活用されることがあるためだ。本来、政策の効率性を考えるなら、自殺対策はうつ病罹患者や高齢者・失業者など高リスク者に対象を限るはずだ。しかし実際には「ゲートキーパー」と呼ばれる、国民一人一人に周囲の人の自殺のリスクについて注意を喚起する取り組みが打ち出されている(2015年度「自殺予防週間」実施要項)。こうしたものは、「自殺は、誰がいつ起こすかわからない主体的な行為だ」という、自由な個人の「意志」という想定がなければ明らかに過剰であり、正当化できないはずなのである。

 以上の説明は序章のものだが、第一章では「意志」が自殺に強く結び付けられた歴史的契機である「厭世自殺」の流行と衰退について詳細に分析されている。一種センセーショナルに取り上げられることも多かったこの厭世自殺は、当時は家、警察、医療、報道機関、自殺した本人にとってさえも一定の有用性を持っていたようである(pp.76-77)。

 そしてほぼ厭世自殺が消失した現代でも、かつて厭世自殺があったことが社会的事実とみなされて各所に影響を残している。例えば、精神科医療の領域では、今でもあらゆる自殺が精神病によって説明できるわけではないと主張されることが珍しくない(p.83)。厭世自殺という形で、多くの者が「自らの意志で」死んでいったという歴史的な経験が、自殺を完全には防げない医者の弁明を道徳的・感情的に正当化している。自殺の発生が精神科医の医療ミスとされ、医師がその全責任を負うというリスクを避けるためには「自殺を完全に医学化できないとする医者の主張に一定の正当性を与える」(p.84)ことが必要だったのである。

厭世自殺と文学

 精神科医療の領域や自殺予防の施策の姿勢について、未だ厭世自殺(個人が意志して起こす死)の影響があるということはよくわかった。ただ、私たちの抱く自殺のイメージを、社会的領域の事情や対応からでなく、もう少し個人的なところから探るということはできないのだろうか、あるいはそうするともはや社会学の議論はできなくなってしまうのだろうか。

 私は、私の内面の自殺のイメージが、最初は文学的な関心を通じて培われてきたものではないかということを思う。そしてそのイメージが、自らの意志をもって死に臨むという厭世自殺のそれをほとんどそのまま引きずっているのである。

 それのみに帰するのは乱暴だろうが、私の高校では現代文の授業で漱石の『こころ』を扱い、Kが自殺するまでの経緯を皆で揃って読んでいた*5。Kは精神病だったかどうか、社会的問題に追いつめられていたのかなどは誰も話題にするわけがなかった(現代文の授業なのだから)。注目するのはKの心理、内面的な葛藤だった。他にも、話の流れの中で誰かが、まさに厭世自殺的に自殺に向かったという作品にはしばしば遭遇してきた。それらの中では、登場人物の内面的な葛藤を強力に印象づけ、それについて様々な想像を喚起し、読者にどこか腑に落ちない部分を残すための技法として、自殺はいつも使われていた気がする*6

 そうしたものばかり読んでいたら、いくら後になって法律や経済や精神医療について知識を入れ「意志」の解体を試みたところで、何か匿名的なものに自殺の責任を転嫁するためだけの方便にしか思えないだろう。自殺した人に対し日頃から何らかのケアを為していたと思うことのできていた人々は特にそうだ。彼らはしばしば、匿名的な作用ではなく「自分のしていたケア」の不備こそが自殺の原因だったのだとしか思えなくなる。少なくとも、彼らがその不備についての罪責感をそのまま保持し、何らかの形でその鬱屈を自分以外に差し向けるようになるまで*7は。人はどこも悪くなくとも自ら死ぬ、そしてごく個人的な事情(狭い人間関係における失敗、ディスコミュ二ケーション)で死ぬという感覚は、その罪責感の独占状態によく馴染む。しかし、こうした具体的な悲嘆や罪責感と、自殺者自身の葛藤や意志の想定のうち一方が他方に由来するなどということをここで早々に断言するつもりはない。卵が先か鶏が先かということになってしまうし、さきほど「死のうという意志」というものを必要以上に重く見ることはできないと思ったばかりだ。

 しかしだからといって、自殺の「意志」は単に構成されたものにすぎない、時代遅れの迷信なのだとすかしてみせる気にはなれない。「意志」の想定は、少なくとも私にとっては、現実にこの身体をつけ狙い迫ってくるような感情群と切り離せないからである。歴史的な亡霊にすぎないものがなぜこれほどまでにありありと迫ってくるのか、迷信だと思ってもその切迫が止まないなら、それは単なる迷信以上の何かではないか、実際にこの切迫は消えていないという事態をどうしてくれるのか、などという訴えが聴こえる。ただしこういうものは小説向きだ。

自殺者の日記と遺書の現在

 厭世自殺というのはなんらかの明晰さをもって死ぬことだった。1903年に自殺しそれが厭世自殺の皮切りになった、16歳の少年藤村操は「美文の遺書を残すほどに健全な知能と精神をもち、また健康で、学歴からも将来が約束されているかにみえた」(p.31)。遺書で読まれる価値のある最後の自己表現を行うというのが、厭世自殺というものの一つの王道だった。そしてそれは、情報の提供者たるメディアと受け手が成立した時代の変化にも対応している。

大切になるのは、一九〇〇年前後に新聞を代表としたマスメディアが量的に拡大しただけでなく、それと並行して情報の生産を独占するという構造的変化がみられることである。マスメディアが流す情報商品を金を出して日々「消費」することが、二十世紀前半には社会生活を送るためにますます必要とされた。厭世自殺はこうした情報流通の構図を前提とするとともに、それを転倒する貴重な機会になった。情報をひたすら消費するだけではなく、一時の間であれマスメディアの中で注目される自己表現の主体となること、そのために奇抜な遺書が多数書かれ、それに関わる自殺が厭世自殺と判断されていったのである。(p.69)

 この本によれば、厭世自殺はそのものとしては20世紀前半までで衰退する。だから扱われなかったのかもしれないが、このような遺書への注目――広く読まれる価値のある情報としての扱いは、20世紀後半から21世紀にかけては自殺者の日記あるいはブログ、SNSの投稿への注目に継承されてきたように思われる。例えば1971年には、自殺した女子学生高野悦子の日記が『二十歳の原点』として出版され、のちには映画化されることとなった。また、ある界隈ではカルト的な信奉者を持つ、南条あや卒業式まで死にません』の出版は2000年のことだ。この本は、彼女が自らのHPに綴った日記(今のブログに相当)の集成である。同様にHPに残された日記としては、編集者だった二階堂奥歯の『八本足の蝶』(2006年)もある。*8

 厭世自殺の衰退後も、自殺を契機として、一般人が(マスメディアを介しなくとも)多くの人に注目される自己表現の主体となるということがたびたび起こった*9。これについてはインターネットがいわゆる「Web2.0」を迎えたことや、「メンヘラ」という属性がよりカジュアルなものになっていった傾向との関連も疑われる。インターネットでは、いくらかの文才やイラスト生産能力があれば、自分の珍しげな体験を「コンテンツ化」*10できるようになった。その中でも、自殺(未遂)した者が生産したコンテンツはどこか特別なものとみなされ、神聖視されることがあった。自殺に対するこうした反応の仕方は、藤村操の時代から尾を引いているものの一つではないかと思う。

 こうした傾向の一方で、遺書は現代では、自らを自殺に「追い込んだ」相手への復讐手段となることが多くなっている。いじめの主犯格を実名で記す、勤め先の上司に受けた理不尽な仕打ちを書き残す等……実際に裁判で有効なものと扱われるかはともかく、遺書はある種の文学作品というより、事実を羅列し責任の配分を求める文書としての扱いが大きい。このような遺書を記す人には、自らの意志と自己責任を強調するというよりも、自分の身を犠牲にして自分より強大な生者たちに一矢報いようという、特攻隊のような気概が感じられる(ように報道される)。まるで生者ではなく自殺者自身が「自殺の資源化」を自覚的に遂行しているようかのようであり、本書の議論がフィードバックされてきたかのようだ。

今後

 結局、最後は個人的な観点に戻ることになってしまったが、自殺をとりあえず個人の内面のみに関わる現象だとせずに、当時の社会状況との関連を見ていくことは非常に勉強になった。特に、ほとんど知らなかった「厭世自殺」という自殺の解釈について、詳しく知ることができたのは大きかった。現代にも回帰してくるその形象に関して興味が湧いたところだ。

 私は文学を専攻したこともないが、作家の伝記的事実などを知ることは割と好きであり、私小説についても少し興味がある。作家が自殺した事例について、その作家が死に際して書き残したものについて調べるため、いくつかの文献を繙いてみようと思う。

 また、現代の「自己表現としての自殺」を考えてみるなら、「インターネットにおける人生のコンテンツ化」という、謎に満ちている習俗についても触れざるをえないようなのだが、どのようにしてそれに接近すればいいのか未だ手がかりをつかみかねている。

 ある伝説的な自殺者の残したものが広く読まれるようになり、それを読んだ者が自らの死をコンテンツ化(資源化?)することへの憧れともいうべきものを持つことがある。これについて私は、中学生の頃から南条あやのことを信奉しており、同一視すらしていると発言した自殺既遂者を知っている。その人は何らかの作品らしい作品を残すことはなかったが、もしその人が何か作品を残していたとしても、今どれほどの人の注目を集めるのかは大いに疑問である。ネット上を見回しただけでも、自殺する人や精神疾患を持つ人などいくらでもいるし、文才のある人もいくらでもいる。命を削ったコンテンツ同士の生存競争はますます激しくなり、相当の洗練がなければ、もはや自殺関連というだけでいつまでも飽きられずに話題にされ続けることにはならない。こうしたコンテンツ飽和状態にあってなお、最後の自己表現と死後の名声に憧れを託すことがどうしてできるのか、私は腑に落ちていない。それについて、もし何らかの分析が可能なら試みたいと思っている。

 

追伸 *11

*1:本来はこの姿勢がどのようにして可能なのかも考えなくてはならないのだろうけども。ちなみにこの本は国の統計等を参照し、それに背くような推測は慎重に排除している。

*2:p.13.

*3:ibid.

*4:この「ごまかし」がどのようなものであるかを語るなら本来「意志」の内実の分析が必要なのだろうが、今回またしてもにそれには入らず、「意志」という想定が取り扱われてきた経緯を整理する。

*5:加えて文学史では、なにか意味深な言葉とともに文学者が(自らの意志で?)自殺したという伝記的事実を中学の頃から学ぶことになった。

*6:ただこれを検証するには、「厭世自殺」登場以降の、自殺の場面を含む小説やアニメやゲームなどを総ざらいしなくてはならず、到底一人でできるようなものではなくなるが。

*7:これは有名なフロイトの「喪の作業」ともかかわる。

*8:『八本足の蝶』については未読であるため、煽り文だけでここに並べることが適切かどうかは分からない。生前の彼女と面識があった評論家、東雅夫は次のように語る。
「ですが、ご承知のように昨今の出版状況下では、無名にひとしい、しかも今はもういない書き手の著作を単行本で出すことは相当に難しいわけです。だからといって、よくありがちな、自ら命を絶った若い女性の手記みたいなね、センチメンタル先行の本にはしてほしくない。私は『八本脚の蝶』というのは、一種のセルフ・アンソロジーだと思っているので、彼女の死とは関わりないところでこそ、正当に評価されるべき仕事だと思うんですね。」
――二階堂奥歯『八本脚の蝶』(ポプラ社)ができるまで

*9:名前は挙げないが、数年前に自殺に至ったある現代思想好きの大学生のブログ・twitterは大きな注目を集め、その死について語る文章が多く生産された。

*10:このコンテンツという言い表し方の起源は何だったのだろうか。

*11:前回の記事では「遺書がなければ自殺として認められないケースもある」と述べたが、この本での記述はより詳細であり、少し結論も異なっている。警察の側からすれば、病や自然死をのぞいた死すべてに事件性を読み取って捜査をしていたら、割ける人員もコストも全く足りなくなってしまう。そこで裁量を働かせ、解剖や詳細な原因(動機)の捜査をすることなく死因を不慮の事故や外観からはわからない病に特定し処理してしまうこともあるという。自殺なのか、そのつもりはなかったが死んでしまった事故なのか、あるいは他人が直接関与したのかは割に曖昧に処理されているのである。ただし最近では日本でも詳細な死因究明を制度化する動きが見られている。法医学の現場では、自殺の意志と結果たる死体の状態を照らし合わせることによって、自殺かそうでないかの判定がより正確に行われるとの主張もある。以上はpp.245-254参照。