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高校時代の自虐論まとめ 補足

  前回の記事について、いつも読んでくれている方から何点か指摘をもらったので補足します。

dismal-dusk.hatenablog.com

 

・自虐と自己批判とはどう違うのか。

 自己批判は多くの場合、自分の間違いを修正しよりよい方向に変わろう、少なくとも間違いを避けようというときに行われます。
 自虐も自己批判の一種かもしれませんが、必ずしも何か変わろうという態度は伴いません。自分の欠点に関して分析を行うことにはなりますが、改善するかは別問題となります。分析し公開したことで自己像を確かめ、むしろそこに安住してしまうことのほうが多そうです(「自傷的自己愛としての自虐」参照)。

 

自虐と単なる言い訳は違う?

 上のような態度で行われている自虐は、行動しないための言い訳であると言うことができます。自分の欠点はわかっているが、変えられない……そしてそれが自分の欠点でもあり……と無限に自虐をループさせることが可能で、そのようなことを実際にやっていたようでした。(「わかっているのに変えられないというのは、本当に分かってはいないのだ」というテーゼを持ち出せば話は違いますけども。こうした言い分を知りたい人はプラトンプロタゴラス』等を読んでください。というかそれしか文献知らないので、もっと明快な解説書とかあったら誰か教えてください)

 

・苦しみや悩みを語る行為も自虐に含まれる?

 含まれます。ただ、その中に自分についての言及が少しでも入っていることが必要だと高校時代の私は主張していたようです。

 例えば、単に「人付き合いが嫌」というのではなく、「人付き合いをすると『私の性質により』嫌な思いをする」と書くのが自虐です。苦しみや悩みの原因が自分にあるとする。

 

・他者をコントロールすることはできなかったとしても、他者に対する不平不満を陰口として言うことはできる。そうしなかったのはなぜ?

 誰か特定の人が気に食わないとか、そういう心境ではあまりなかったのかもしれないと思います。自分以外は有象無象という感じで。しかも、その有象無象は千里眼的な権能を持っており私の発言の全てを監視していました。有象無象とは、「学校の友人」だとか「家族」だとか、なにかしら属性でくくることのできない、場所を選ばない全てのひとびとなのです。したがって私が自由に振る舞える領域はTwitter上にもありませんでした。リアルの友人が見ていなかろうと鍵がかかっていようと、自分以外の陰口を叩いただけでも自分になんらかの災いが降りかかるという強迫観念に近いものがあったと思います。

 あとは、たぶん自分が悪いとしてしまったほうが楽だからです。不平不満の原因を自分以外に帰すと、自分以外のものを観察しなければならなくなりますが、他人とあまり話さない場合そうした観察も進まないので。

 

 元がごちゃごちゃと連続ツイートしていただけなので分かりやすくまとめることに困難もありますが、質問に答える形だと自分の中でも整理がつきました。質問をもらえるのはありがたいことです。

 しかし、前回からやってきた過去に感じ考えていたことの再構成というのは失敗せざるを得ないなというのは最近思うことで、これについてはまた後ほど書きたいと思います。